堂昌一:画、子母澤寛『国定忠次』(広済堂出版、昭和50年)入手

「粋美挿画」3号の表紙に使った堂昌一の股旅物の挿絵が、何に使われた挿絵なのかわからなかったが、やっと印刷物になった絵を見つけ購入し、堂昌一:装幀、子母澤寛国定忠次』(広済堂出版、昭和50年3版、初版=昭和47年6月)であることがわかった。

堂昌一:装幀、子母澤寛国定忠次』表紙(広済堂出版、昭和50年3版、初版=昭和47年6月)



堂昌一:装幀、子母澤寛国定忠次』巻頭口絵(広済堂出版、昭和50年3版、初版=昭和47年6月)


岩田専太郎が亡くなるのが昭和49年なので、堂昌一がまだ岩田専太郎の後継者として活躍する前の作品で、専太郎風に捕らわれない伸び伸びした画風がいい。
 堂にとって、専太郎の仕事を引き継ぎ、後継者と呼ばれるようになったことが、果たして良かったのかどうか? 仕事量は増え、知名度も上がり、著名な作家の作品の挿絵を描くようになった半面、オリジナリティが無く専太郎の亜流と揶揄される事も増え、必ずしも風当たりが良くはなかったはずだ。私はこのままの画風で描き続けて欲しかった。


 その辺のストレス発散が、もう一つの雅号・春日章で描いていた作品なのかもしれない、とおもうと春日章の評判が高いのもうなずけるような気がする。