内藤八房トウガラシを装幀に取り入れた椿貞夫装幀『生命に役立つ為に

事務所があるマンション入り口の花壇にトウガラシが植えられ、看板にはウンチクが。


「その昔江戸時代の内藤新宿一帯は秋になると内藤藩の栽培するとうがらし(上を向いて実る八房という品種)で赤いじゅうたんが敷かれたような光景が見られたそうです。
七味とうがらし売りの口上でもその名は全国的に知られています……歴史ある「内藤とうがらし」の復活を楽しく目指しています。」と、江戸時代の地場産業だった「新宿内藤の八房(はちふさ)とうがらし」を復活させようとしているようだ。


 「山徳」薬研堀七味とうがらしの売り口上をネットでみて見ると、麻の実、罌粟のみ、山椒、生とうがらし、ミカンの皮の陳皮、黒ゴマを合わせて……「♪武州川越の黒ゴマ…新宿内藤の八房(はちふさ)とうがらし…辛いからくないはいかようにも調合いたします」確かに「新宿内藤の八房(はちふさ)とうがらし」と言っている。
 う〜ん、これが300数十年の伝統がある、三代将軍徳川家光公も食していたという「内藤とうがらし」か。


 内藤八房トウガラシを装幀に取り入れた書物を思いだした。

椿貞夫:装幀、武者小路実篤『生命に役立つ為に』(春秋社、大正15年)
 椿貞雄(1896−1957)は、米沢市上花沢仲町(現在の東3丁目)に生まれ、1914年(大正3年)に画家を志して上京。岸田劉生と運命的な出会いを果たし師事する。劉生は「油絵という西欧伝来の画法を用いて日本人の心を描く」という理想を抱いており、椿はその理想に共鳴、草土社の創立に参加。春陽会,大調和会とつねに劉生と行動をともにした。昭和4年国画会会員。武者小路実篤、長与善郎ら「白樺」の同人と交流があった。昭和32年12月29日死去。61歳。