万葉集の朝顔は今日の朝顔とは違う

朝顔を題材にした歌は昔から沢山あり、お爺さんが風流な人だったのか、
 朝顔に つるべ取られて もらひ水(加賀千代女)
を小学生の時に母の実家に行って本当に体験し、一晩で朝顔の蔦が延びる早さと、それを見つめるお爺さんの姿に感激した思い出がある。


 朝顔は、朝露負(お)ひて、咲くといへど、夕影にこそ、咲きまさりけり」(万葉集第十巻)
 朝顔は朝露を浴びて咲くというが、夕方の薄暗い光の中でこそ輝いて見える。という意味で、万葉集に登場する朝顔は、私たちが良く知っている朝顔とは違って夕方まで咲いているようだ。当時は、朝に咲くきれいな花、桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)、昼顔(ひるがお) などを朝顔と呼んだようです。

正宗得三郎:画、辻和歌子『秋の浅紅』表紙(冬拍発行所、昭和12年
 あとがきには、「表紙の紅芙蓉、これは正宗画伯に御願ひして頂いたのでしたが、先生は折柄御庭の芙蓉が初めて一輪咲きましたと、わざわざ画伯にお電話され早速写生に御出で下さいました處尚其花の色が御氣に召さぬとて又花屋に買ひに御やりになって下さったとの御話でした。」と装画依頼についてのやり取りが記されている。



木村荘八画、佐藤春夫『慵歳雑記』(千歳書房、昭和18年
木村荘八は、1937年に永井荷風の代表作『濹東綺譚』(朝日新聞連載)で挿絵を、他に大佛次郎の時代小説で、幕末・明治初期の横浜新開地を舞台にした『霧笛』、『幻灯』、『花火の街』、『その人』に加え、『激流 渋沢栄一の若き日』、『鞍馬天狗敗れず』がある(2009年に各未知谷で再刊。なお鞍馬天狗は、戦時中の新聞連載のみで未刊だった)。
 晩年となった戦後は、文明開化期からの東京の風俗考証に関する著作(『東京の風俗』、『現代風俗帖』など)を多数出版、数度再刊された。多忙のため病気(脳腫瘍)の発見が遅れ、短期で悪化し病没した。歿後刊行の『東京繁昌記』で、日本芸術院恩賜賞(1959年)を受賞した。