●面付け、ノンブル、目次の登場

 「洋本化」とは?楮や三椏などを原料にした手漉きの和紙に代り、パルプなどを原料にした機械漉きの洋紙を使い、印刷は木活字が鋳造活字に、木版が活版に、手摺りから機械刷りに代わり、二頁〔一丁)「片面刷り」から、あたかも十六階建て建造物の展開図のように、面付けして「両面刷り」になったことである。製本も丁をユニットとして小口が袋になるように綴じる和本から、表裏十六頁をユニットとし、印刷された表裏両面を開けられるように、和本とは反対に折り目を綴じる製本に移行していった。この両面印刷による製本術の輸入により一冊の情報量は単純計算でも二倍以上になる。



『新増字林玉篇』(須原屋、山城屋、岡田屋、天保14年)、漢数字で書かれた「丁」は二つ折りした山折の部分(小口)にレイアウトされ、つまり2ページに一つしかないので、漢数字の部分で2つ折にされるため半分しか見えない。写真では「丁」が右端下に半分だけ見える。


さらに、和本にはなかったノンブルや目次といった新しい概念も導入された。それまでは丁と呼ばれる二頁を単位とした原稿の順番を示したものが、ノンブルという一頁単位に付けた番地とでもいうべき数字・ノンブルにとって代わる。このノンブルと内容との結びつきを一覧出来るようにしたのを目次という。


西洋式製本術が日本に上陸して最初に作られたと思われる『西洋開化史』(印書局、明治8年)では、せっかく和本の「丁」に代わってノンブル(ページ)が使われるようになったが、なぜか「目次」はない。



『西洋開化史』(印書局、明治8年



箕作麟祥仏蘭西法律書上巻』(文部省、明治8年


仏蘭西法律書上巻』(文部省、明治8年)にも目次はない。目次を探していて気がついたのだが、この本は和本のように「平」の部分を綴じる平綴じか? 見返し部分のとじ方をみる限りでは、糸かがり上製本の綴じ緒(フィッセル)としか思えなかった麻紐だが、本文部分を開いてふと疑問に思った。和とじのように平の部分を綴じる平綴じに違いない。書物を壊さないと確認はできないが間違いないだろう。



箕作麟祥仏蘭西法律書上巻』(文部省、明治8年
ノドの部分に、罫で四角に囲まれた漢数字がノンブルだ。
奥付には「明治八年十二月十日出版 
東京 東京第一大区七小区 桶町七番地 中村熊次郎
書肆 東京第一大区六小区 日本橋通弐町目拾二番地 小林新兵衛」とある。市井の製本所が製本したものだろうか。


各ページにノンブルは記されているが、目次に匹敵する「目録」にノンブルが記されていないのは、上記の書物だけではなく、
・内田正雄『官版輿地誌略 亜細亜州一』(明治7年)
・『明治史要』(修史局編纂、明治9年
・『彼日氏教授論』(文部省、明治9年
・山形禎『国史纂論』(長門明倫館蔵版、明治11年
・ジュル・ベルヌ『新説八十日間世界一周』(慶応義塾出版社、明治11年
・『幾何学』(中外堂蔵版、明治11年

など、この頃の多くの書物の目録(目次)にはノンブルがない。