付録「さしゑ』3号(平凡社、昭和10年)から宮川曼魚「春仙禮讃記」を引用させてもらおう。春仙は夏目漱石「三四郎」や泉鏡花「白鷺」、島崎藤村「春」などの挿絵を描いたことで知られる挿絵画家だ。


「名取春仙の繪に、私が、はじめて接したのは、たしか明治四十四・五年頃であつたと憶えている。
 その頃は、毎朝舊魚河岸の上総屋といふ鰻問屋へ買出しにいってゐたので、ある朝、その歸りに瀬戸物町へ出て、高津(にんべん)の前に在つた本屋へ新刊書を見に寄ると、其処に名取氏の「デモ画集」といふのがあった。



名取春仙:画、長谷川伸「雪の渡り鳥」


 把りあげて頁を繰ると、およそ清新で、若さと叡知のあふれた小品に氣のきいた散文で埋められてゐた。私は早速その一部を購って歸つた。この「デモ画集」が、當時の私をして、いかに感激させたかは、いまだに忘れることができない。



名取春仙:画、長谷川伸「雪の渡り鳥」


 まつたく當年の名取氏の繪は、若鮎のやうに溌剌たるものであり、とりたてのメロンのやうな新しい香気に充ちてゐた。
 珍書刊行會の川上不角氏の紹介で、私が名取氏と會ったのは、それから間もないことだった。憧れの吾が春仙氏は、作品で想像してゐた通り、灰汁ぬけた美しい青年だった。(あアこれだ。これがデモ畫集の著者、才人名取春仙だ!)
なんということなしに、その時、私は、かうおもつたのである。



名取春仙:画、長谷川伸「雪の渡り鳥」


その後今日に至るまで交遊二十餘年間に、六曲屏風、二枚折、半せつ、額面と、つぎつぎに名取氏の作品を得るに従つて。私の歡喜を増して行つた。先年氏が尤も得意とする似顔繪版畫の頒布會へ入會した時には毎月その作品の届くのを待ちかねたものである。



名取春仙:画、長谷川伸「雪の渡り鳥」


 この『名作作品集』の刊行によつて、名取氏の描いてた挿畫中の傑作を、まとめて見ることが出来るのは、私にとつて、なにより感謝すべきことである。」