「やがて時代そのものが、戦時色に染められる。戦時下にあっては、戦時文化統制ともなる。富田千秋もまた馬にまたがった軍人の雄姿を描くなど戦争物をてがけている。


昭和17年ごろから、雑誌の廃刊や合併もあいつぎだした。紙質も悪くなれば、ページ数も減らされるあんばい。だから、さし絵画家の出番すくなくなる。仕事の場は、せばめられてゆく。ところが"紙芝居"の道には、そうした波をもろにかぶることはなかったのだった。


黄金バット』で鳴らした加太こうじは、紙芝居で終る気はない。じつは時代物のさし絵画家を望んでいた。時代考証の勉強もしていたのである。


……プロの加太こうじは、紙芝居アマに手ほどきするハメとなった。有名さし絵画家たちがぞろぞろ、紙芝居作製のイロハを教えられた。富田千秋も仲間に混じって、生徒の顔となった。……富田千秋は昭和42年にひっそりと亡くなったのであった。」66歳の生涯であった。