サインを変えて、再登場した伊藤彦造

伊藤彦造橋本関雪門下の日本画家で、大正十四年「大阪朝日新聞」に連載の行友季風「修羅八荒」の挿絵を描いて大阪では知られていたが、昭和二年、高垣眸「豹(ジャガー)の眼」で「少年倶楽部」にデビュー、続いて大佛次郎「角兵衛獅子」の挿絵を受け持つにおよんで、華宵を凌ぐほどの人気を勝ち取った。



挿絵:伊藤彦造高垣眸「豹(ジャガー)の眼」(「少年倶楽部昭和2年1月号)



挿絵:伊藤彦造大佛次郎「角兵衛獅子」(「少年倶楽部昭和2年3月号)


しかし、加太こうじによると挿絵のサインに「剣をもって一家をなす彦造画」などと書き入れたのをはじめ数々の奇矯な振舞いをするようになり、それがために一時ジャーナリズムから敬遠されていたが、昭和12年吉川英治「天兵童子」の挿絵に伊藤新樹の名で再び返り咲いた。




「伊藤新樹」と書かれた彦造の新落款の部分拡大。
私の名前と良く似ているので驚きました。「しんじゅ」と読むのだろうか。



伊藤彦造の落款は、それまでは、こんな落款でした。