挿絵史に於ける新時代の開幕は関東大震災前後の頃であり、それまで専ら浮世絵系の絵かきが描いていたが、決定的に首座を失い、新たに日本画系と並んで洋画系の画家が続々と参入してくるという時期である。この新しい潮流の堰が切られたのは石井鶴三の手によって行われた。東京朝日新聞の連載小説、上司小剣「東京」大正10年(第一部)、12年(第二部)に、鶴三の挿絵が付されて発表され高い評判を得たことが、後に上野のお山(展覧会)で活躍する洋画家達が競って新聞小説を描くようになる先駆役を果たしたのであり、戦後、昭和30年代に訪れる


……婦人公論誌上に連載の上司小剣氏作「森の中の家」という小説に挿絵を描いたのが縁となり、同氏の新聞小説の処女作「花道」の挿絵をたのまれた。時事新聞紙上で大正九年のことであった。


この小説は、一少女が少女期を過ぎて成人せんとする間の動きが書かれたもので、芝居ならば本舞台にかゝろうとする花道にあたるというので、花道と題されたという。この少女は事情があって父と別居している母に育てられて成人するのであるが、其間に母の弟である叔父の結婚があったり、関西から上京して来た従弟から、淡い愛情をよせられ、其事によって学校を退学することになったり、やがて父が訪ねて来て、はじめて対面することになったり、いろいろの事があり、しだいに社会を知り、新しい感想をいだくようになり、文学に志すに至るのであるが、旧い思想に固まっている母との間に、距離を生ずるが争いをするには至らず、そうこうするうち新思想の若い婦人を知り、互いに共鳴するところあり、共に理想に生きんとし、将来に光明を見るというところで小説は終るのである。


私は興味を以てこの小説を描いた。主人公の蝶子という少女に愛情を感じ、其愛情をこめて画を描いていた。場面がかわるたび、渋谷・芝公園・五反田・千葉という風にそれぞれ其土地を歩いて見た。いちいち写生するわけではないが、挿絵を描く時には、其背景になっている土地の空氣を知って置く要があると思ったからである。


このようにして上司氏の信用を得たと見えて、氏の代表作「東京」が朝日新聞に連載される時、是非挿絵を描いてくれとたのまれた。大正十年の春である。この「東京」は愛欲篇、労働篇、争闘篇、建設篇の四部より成るものであるが、其時は愛欲篇だけが書かれた。


 これが鶴三が「東京」の挿絵を描く事になるまでのいきさつであり、挿絵に取り組む鶴三の真摯、誠実、探求心の強い努力型という性格が、タブロー(本絵)と挿絵との区別なく平素の研究心で描いたのが、挿絵を一気に芸術的香華もつものへと高めることとなり、メディアの寵児として迎え入れられることになった。

この辺のデビュー当時の話は、もしかして、『石井鶴三全集 第1巻』に掲載されているのではないかと思うのだが、生憎、この第1巻をもっていない。神保町でも散歩しながら探してくるか。置いてありそうなのは、ボヘミアン・ギルドさんとか、源喜堂さん、山田書店さん、一心堂さんあたりかな?