緊張しているといつもこうなんだが、今朝も5時に目が覚めてしまった。せっかくだからと、本棚を眺めていると「文学」VOL.22(岩波書店、1954年6月号)に、石井鶴三「挿絵画家としての思い出」を見つけてしまった。田村松魚氏の「歩んできた道」での挿絵家デビューから上司小剣「森の中の家」(「婦人公論」)、「花道」(時事新報、大正9年)、「東京」、「大菩薩峠」、そして中里介山が著作権侵害者として鶴三を告訴し、取り下げるまでが詳しく書かれていた。鶴三は大正5年に田端に移り住んでいるので、当然、松魚・俊子夫妻とのやり


新聞連載小説の挿絵を描いたのは、田村松魚氏の「歩んできた道」というのが最初で、大正七年やまと新聞の紙上であった。其作は田村氏の自伝的小説で、作者とは家も近く毎日のように会って話しあって居たので、大変描きよくもあり感興も多かった。


筋はこういう風にはこぶ、次はこういう場面になるとか、時には作者があたまに手をやってねころび、主人公がこんな風にしているところを描いてくれとか、時にはたまたま遊びに来た女性を、いずれこの人が出てくるから、よく見ておいてくれとか云われた。初めのうちは原稿を見せてもらい、挿絵が出来ると作者にわたし、作者から原稿と共に新聞社へ送られていたが、そのうち原稿がおそくなり、絵のほうが先に出来るようになると、作者は絵を見て書くほうが書きよいといわれるようになり、私が自由にかんがえて描いた構図の、人物の配置などが其通りに作中に書かれたりした。


この作はあまり長いものではなく、挿絵も毎日載るというわけではなく、適当なところに時々挿絵が入るということになっていた。新聞小説としては、あまり例のないことであろうと思うが、挿絵を描く者にとっては、この方がよろしく、興味を以て打ち込んで仕事が出来るというものである。毎日描かなくてはとなると、時に気のりのせぬ日もあり、また小説家としては挿絵のない方がよろしいと思われる時もあり、そういう時に何とかして描くのは苦痛でもあり、無理なのだが、連載物としては読者が毎日挿絵を来たいして居ることであるからと、今日の体裁となったものらしい。


よつばと! 10 (電撃コミックス)

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無限回廊 光と影の箱 a Soundtrack

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