2011-07-27から1日間の記事一覧

池部三山と鳥居素川の骨折りで明治40年4月、夏目漱石が朝日新聞入社した。以後、漱石は「虞美人草」「坑夫」「三四郎」「門」「永日小品」「行人」「こころ」「みちくさ」など次々に連載を発表し50歳のときに「明暗」を絶筆として亡くなった。

名取春仙:画、夏目漱石「明暗」(東京朝日新聞、大正5年)、「明暗」の挿絵には落款がなく誰が描いたものであるのかが分からなかったが、第38回の挿絵に「NATORI」の署名があり春仙が描いたことが判明した。 漱石の入社を切掛に新聞小説の刷新が行われ、挿…

宍倉佐敏『古典籍古文書料紙事典』

火曜日に装丁の依頼があり金曜日が締切りという日程だったので、当然次週の金曜日のことだと勝手に解釈して引き受けた仕事だったが、いざ始まってみたら中二日でやる仕事だった。今さら断ることも出来ず引き受けたが、目次とタイトルの原稿が送られてきただ…