昆虫つながりで、藤島武二「蝶」を捕まえた。1904年の第9回白馬会展に発表したこの絵は、当時の勉強ぶりを示す「縮図帖」にオデロン・ルドンの作品の模写があることから、その影響を強く受けているものと思われる。そして、更に驚かされ興味をひくのは、2000羽もの蝶が描かれているという「蝶供養」という写生帖だ。一つのモチーフに対して、よくここまで興味を持ち続けていられたものだ、と、その執着心と根気にはただただ感心するばかりだ。



藤島武二「蝶」1904年



藤島武二「蝶供養」1900年〜1906年頃、28×20cm、紙、水彩


この「蝶供養」に嘉門安雄は『近代の美術31』(至文堂、昭和50年)に、
「蝶に対する彼の、むしろ異常なまでの執着と2000羽に及ぶ蝶と蛾を写した写生帖……。おそらく名作『蝶』の描かれた1904年を境とする明治30年代の彼の勉強と努力の跡を示す貴重な作品集と言えよう。彼が当時いかに蝶に熱中していたかは、有島生馬氏がその思い出のなかに、いつ訪れても藤島のアトリエには蝶の標本が幾箱も置いてあった、と語っていることからも想像できる。」


「とまれ、作者の呼吸が一つ一つわれわれに伝わって来るほど見事な写生帖を見る。この写生帖を見るごとに、私は光琳の『写生帖』を、応挙の『昆虫写生帖』を想う……。しかし、ここはそのどれも、鋭い観察と的確な描写があり、しかも蝶に託する詩とロマンが豊に脈動している。彼は日本画から出発したから、このような写生帖を作り得たのではない。それは彼自身のファンタジーそのものの表現なのである。」と記している。



藤島武二:画、与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社、1901〈明治34〉年)、この表紙に描かれた横顔と「蝶」に描かれた横顔が良く似ていることにも興味を魅かれる。「蝶」では花に接吻をしているが、『みだれ髪』では、明らかに接吻を要求している顔だ。こう解釈すれば、みだれ髪は風俗を壊乱する悪書といわれたのが首肯ける。