斎藤昌三没後に刊行された坂本篤編「はだかの昌三」(有光書房、昭和37年5月)には、死人に口なしとばかりに言いたい放題の悪口が記載されている。ある意味でそのほうが本音の発言なのかも知れないが、大人げない気もする。そんな中に、敢てゲテ本に苦言を呈している長尾桃郎の文章を読んで見よう。


「『書痴の散歩』を筆頭とする一連の随筆集には、多大の敬意を払うに断じて吝かではなかったものの、短いエッセイ、短い論文、短い随想などの収録に、思い切ったよそおいを凝らした装幀を、敢て施す昌三さんの興趣には、どうにも賛意を表し難い私であった。それら過重装飾の装幀本の幾冊かは、譬えるなら、七五三のおまいりに、親の好みによる華麗な衣裳の重みに、歩行し兼ねている栄養不良児を、私に連想させたからである。


当の昌三さんとしては、新しい装幀試作のためにも、中身のない書籍は造れぬまま、若干の原稿が成るのを待って、それを中身に充てたものであろうし、昌三さんとしては、変容異想の装幀の制作に、むしろ主眼を置いていたのかもしれないが、私には中身と装幀の不釣合や不均衡が、どうにも救いがたい悪疾のように映って仕様なかった。これが、私をして積極的に“昌三本”へ手を出さしめない一因でもあった。尤も逆に『それなればこそ“昌三本”は尊いんだ”という愛書家も、他方には多くあることだろうけど。」


と、生前、金魚の糞のようにつきまとってばかりいないで、直接本人に言ってあげれば良かったのに、これでは単なる何かの腹いせではないかと思う。



坂本篤編「はだかの昌三」(有光書房、昭和37年5月)