なぜ、「公称」となっているのかというと、中は「本当のところを言うと、僕は、東京にくる前の宝塚時代に新聞に描いていました。昭和4年五月から土師清二さんの弟子の葉多黙太郎が、『神戸新聞』に『平安異香』という連載小説を書きました。その挿絵を描いたのがいちばん最初の仕事なんです。でも葉多黙太郎には悪いですが、やはり直木三十五の方が、有名ですから、『本朝野士縁起』でデビューしたということにしていたわけです。」(前掲『挿絵画家・中一弥』)と、暴露している。



中一弥:画、葉多黙太郎「平安異香」(神戸新聞、昭和4年)
これが、中一弥の本当のデビュー作だ。




中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集』続第8巻、平凡社昭和6年



中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集』続第8巻、平凡社昭和6年



中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集』続第8巻、平凡社昭和6年


中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集』続第8巻、平凡社昭和6年



中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集』続第8巻、平凡社昭和6年