98歳の現役最年長挿絵画家・中一弥と息子・逢坂剛の親子初のコラボレーションとなった、中一弥:挿絵、逢坂剛『重蔵始末』(講談社、2001年)シリーズ4冊は、一弥にとっては待ちに待った嬉しい共演だったようだ。そんな気持の表れなのか、表紙装画の他に本文中にもそれぞれ5〜6点の挿絵が入っている。単行本のための書き下ろし挿絵なのか、「小説現代」(2004.4〜05.11)に連載された当時のものを流用したもなのかは確認していない。が、『重蔵始末(4)嫁盗み』(講談社2006年)が刊行された時は、昭和4年「本朝野士縁起



中一弥:挿絵、逢坂剛『重蔵始末』(講談社、2001年)



中一弥:挿絵、逢坂剛『重蔵始末』(講談社、2001年)



中一弥:挿絵、逢坂剛『重蔵始末』(講談社、2001年)



中一弥:挿絵、逢坂剛『重蔵始末』(講談社、2001年)



中一弥:挿絵、逢坂剛『重蔵始末』(講談社、2001年)


一番上に掲載した挿絵は、小田富弥に憧れ弟子入りしたというだけあって、構図や人物の動き、躍動感も威勢の良さも、恩師の絵を彷彿とさせるものがある。下記の絵は師匠の小田富弥のもの。



小田富弥:画、「弥太郎笠」


小田富弥:画、「丹下左膳


一弥が憧れを抱き始めたころの小田は、大仏次郎「照る日くもる日」が大阪朝日新聞に連載され、その挿絵を描いていたという。その頃のことを「……それで一度、実家へ帰ることにしたんです。ちょうどそのころ@「大阪朝日新聞」に『照る日くもる日』(大正十五年〜昭和二年)という小説が連載されていて、その挿絵を、小田富弥という挿絵画家が描いていました。その小田富弥が、馬鹿にいいんです。例えば、自分が斬った男の腹の上に足を乗っけて、片手で柄杓の水を飲んでいる絵があるんです。冷静に考えてみると、どこからその水を汲んできたんだろうとか、つじつまがあわないこともあるんですが、絵としては非常に格好がいい。芝居なら、ヨッ、何とか屋、という掛け声のかかりそうな決めのポーズを書くのが、小田さんは特に上手だった。」(前掲『挿絵画家・中一弥』)と記している。



小田富弥:画、大仏次郎「照る日くもる日」



小田富弥:画、大仏次郎「照る日くもる日」



小田富弥:画、大仏次郎「照る日くもる日」



小田富弥:画、大仏次郎「照る日くもる日」


小田富弥:画、大仏次郎「照る日くもる日」

下記の絵のような「決めのポーズ」はいくつか見つけることができましたが、残念ながら、一弥がみたという「自分が斬った男の腹の上に足を乗っけて、片手で柄杓の水を飲んでいる絵」は見つけることができませんでした。



小田富弥:画、小島政二郎「新版義士銘々伝 大石瀬左衛門」(「富士」、昭和8年