2009-08-18から1日間の記事一覧

なぜ、「公称」となっているのかというと、中は「本当のところを言うと、僕は、東京にくる前の宝塚時代に新聞に描いていました。昭和4年五月から土師清二さんの弟子の葉多黙太郎が、『神戸新聞』に『平安異香』という連載小説を書きました。その挿絵を描いたのがいちばん最初の仕事なんです。でも葉多黙太郎には悪いですが、やはり直木三十五の方が、有名ですから、『本朝野士縁起』でデビューしたということにしていたわけです。」(前掲『挿絵画家・中一弥』)と、暴露している。

中一弥:画、葉多黙太郎「平安異香」(神戸新聞、昭和4年) これが、中一弥の本当のデビュー作だ。 中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集』続第8巻、平凡社、昭和6年) 中一弥:画、直木三十五「本朝野士縁起」(『現代大衆文学全集…

中一弥の公称デビュー作は「昭和4年の『本朝野士縁起』、名古屋新聞かな。面白い小説でした。」(季刊『谷中根津千駄木』其の90、2008年)とインタビューに答えている。この直木三十五「本朝野士縁起」の挿絵を見つけた。

昭和4年初出時の新聞に掲載されたデータではないが、2年後に刊行された円本全集といわれる『現代大衆文学全集』続第8巻(平凡社、昭和6年)には、新聞に掲載された当時のものとおもわれるたくさんの挿絵が掲載されている。 中一弥:画、直木三十五「本朝野士…