図鑑でもないのにこの挿絵はすごい。広辞苑ほどの束(厚み)がある『国民百科辞典』(冨山房、明治41年)。見事な絵がたくさん入っているのに驚き、つい購入してしまった一冊。この図鑑のもう一つのすごさは、誰がどの絵を描いたのかは分らないが、織田一麿、五姓田芳柳、戸田塘仙、西野猪久馬、横山慶次郎と、5人の画家の名前が、執筆陣と並んで巻頭にまとめて記されている事だ。



『国民百科辞典』(冨山房明治41年


織田一麿(1882─1956)の「武蔵野の記録」は植物や昆虫など自然観察の随筆集で、石版画による「画集銀座」「画集新宿」を出版した石版画家として知られ、明治・大正・昭和と変りゆく風景を描き続けた。
1970(明治40)年に創刊された美術雑誌「方寸」の同人に、若い日本画家や洋画家と並んで木版の山本鼎、石版の織田一麿が参加し、このことが芸術としての版画制作のきっかけとなる。彼らは浮世絵からの脱皮をめざし、自画、自刻、自摺、の制作工程から摺りまでのすべてを一人の手で行おうとする考え方、いわゆる創作版画運動この雑誌を通して実行した。


五姓田芳柳(1864-19438〈元治元年−昭和18〉年)。二世芳柳は下総国猿島郡に生まれ、旧姓倉持。本名は子之吉。明治11年、15歳の時上京、五姓田塾に通い絵画の勉強をした。明治13(1880)年五姓田芳柳の養嗣子となり、同年の義松渡仏後、ワーグマン、サン・ジョヴァンニ、カペレッティなどの外国人画家に学ぶ。明治14年、第2回内国勧業博覧会に「飾馬図」を出品。5年後に芳柳の号を継承、二世五姓田芳柳と名乗る。
明治23年、第3回内国勧業博覧会に「鷺沼平九郎大蛇ヲ屠ル図」等を出品し褒状を受ける。明治33年、パリ万国博覧会で「猿曳図」を出品、褒状を受賞。明治時代を回顧した歴史画や風俗画が多い。日本の水彩画において草分け的存在。1943 (昭和18)年、東京で死去。



『国民百科辞典』(冨山房明治41年
これは、まるで風景画を見ているようだ。描写力は並外れている。かつて牛久沼の蓮田でブラックバス釣りをやった時はこんな感じだった。



『国民百科辞典』(冨山房明治41年



『国民百科辞典』(冨山房明治41年



『国民百科辞典』(冨山房明治41年