【101冊の挿絵のある本(75)その1…報道画家・山本松谷が描いた「新撰東京名所図会」(『風俗画報』臨時増刊号、東陽堂、明治30年)64編の口絵のなかから17点を紹介します。】
『風俗画報』の報道画家・山本松谷
明治3年11月9日、土佐長岡郡後免町生まれ。名は茂三郎。7歳の時に絵師・山本洞素に入門。17歳、大阪の陶器輸出商に絵付け住み込み職人となる。19歳の時に上京し滝和亭(たき-かてい)に学ぶ。明治27年、25歳の時に、和亭の画塾で、『風俗画報』が挿絵を公募していることを聞き塾生の中から3名が応募、松谷が描いた故郷土佐の奇祭「どろんこ祭り」を描いた「土佐国早乙女図」が編集長の山下重民の目にとまり、『風俗画報』第73号に掲載される。と同時に東陽堂の絵画部員として入社。以後、毎号のように、「山本松谷」の名で、日清日露の戦争、事件、風景、風俗など、『風俗画報』に石版画の挿絵を描くようになる。当時の『風俗画報』の口絵や挿絵は今の報道写真に当たる意味があり、同僚に小林永濯、川崎千虎、尾形月耕、富岡永洗、久保田金僊らがいる。これに並行して、明治29年(1996年)9月から明治42年(1909年)3月まで全64編が出版された『風俗画報』の臨時増刊で、江戸時代の名著『江戸名所図会』になぞらえた『新撰東京名所図会』の挿絵により、石版画家としての名声は高まり、表紙、口絵、挿絵などおよそ1300点を描き、報道画家としてその名を知られる。多色摺り木版画『今すがた』(大黒屋、明治39~42)シリーズは昇雲の代表作として評価が高い。昭和40年5月10日死去。96歳。別号に昇雲,小斎がある。
熟成の