『天平童子』といえば伊藤彦造が描いた挿絵が印象に残っている。だが、先日、吉祥寺に行った時に『天平童子』上、下(ホプラ社、昭和30年)を購入。あの伊藤彦造が戦前『少年倶楽部』(昭和12〜14年)に描いた厳しい顔の天平童子に比べると、どことなく優しくなっているが、なぜ?



挿絵:伊藤彦造吉川英治天平童子」(『少年倶楽部』昭和12〜14年)



挿絵:伊藤彦造吉川英治天平童子」(『少年倶楽部』昭和12〜14年)



挿絵:土村正寿、吉川英治天平童子』前編表紙(ポプラ社、昭和30年)



挿絵:土村正寿、吉川英治天平童子』後編表紙(ポプラ社、昭和30年)



挿絵:土村正寿、吉川英治天平童子』前扉(ポプラ社、昭和30年)


土村正寿が描いた下の3点は明らかに楽しそうだ。少なくとも命をかけての真剣勝負という雰囲気はない。この明るいイメージは画家が選択したキャラクターのイメージではないのではないかと、ふとおもった。


戦前には命をかけるという凄まじさが絵からにじみ出ているのが受けたのだろうが、戦争が終ってしまうと、そのような暗いイメージは歓迎されず、明るいイメージの、スポーツとしてのチャンバラか楽しい演劇のようなイメージで描くようにとの指示があったのではないだろうかと、邪推したくなる。


読者の方が、明日を知れない命の危機に迫られていた時と違って、平和になってまで命をかけるような話は敬遠したのだろう。


つまり、挿絵家は自分の意思でキャラクターイメージを決めることができなくなってしまったのではないだろうか。戦前にあった大きな圧力からやっと開放されたと思ったのだが、今度ははっきりとは見えない圧力をどこかから受けなければならなくなってしまったのではないだろうか。