忠弥の戦前・戦中の装丁作品は今のところ見つかっているものは少ない。おらくは戦前・戦中は日本にいなかったのではないかと思われるからだ。これまで見てきたいくつかの年表資料によっては多少の年月のズレがあり、その真偽の程はまだ確かめていないが、今のところ確認出来るのは下記の通りだ。
『高橋忠弥1972-1976 a BIOT』では
・1939[昭和14]年 北京、上海、蘇州に滞住制作。
・1944[昭和19]年 帰国。
(*元号は筆者が加筆)
とあるが、
「みづゑ」1996-10には
・1937[昭和12]年ー41[昭和16]年 北京、上海、蘇州に遊学
とある。
『高橋忠弥1972-1976 a BIOT』の年表を正しいものとすると、昭和18年、19年に発行された下記の書物の装丁を海外滞在中にやっていたということになる。前日掲載した葉山嘉樹『海と山と。』(河出書房、1939[昭和14]年)についても同様の疑問が残り、既成の年表を鵜呑みにするのではなく正しい年表作成の必要性を感じる。