文字が演じる書物の装丁…田村義也の装丁最終回

昨日の朝日新聞に『ゆの字ものがたり』(新宿書房)が紹介されていた。これまで田村義也の装丁を紹介してきたが、手持ちの田村装丁本からかける話はこれくらいのもので、今後、またたくさん集まったら書いてみようと思う。


今日紹介するのは最近入手した田村装丁本で、田村が大きくイメージを変換した時点のいわば分水嶺的な装丁を掲載してみた。
上の2点は本田勝一『戦場の村』(朝日新聞社、1968[昭和43]年)、本田勝一『極限の民族』(朝日新聞社、1967[昭和42]年)この本は学生の頃に読んだもので、いまだに内容もよく覚えている。






写真二番目は安岡章太郎[もぐらの言葉](講談社、1969[昭和44]年)、安岡章太郎『感性の骨格』(講談社、1970[昭和45]年)。
この4点の写真からも、田村が豹変した時期を推測することが出来る。以前に紹介した安岡章太郎『軟骨の精神』(講談社、1968[昭和43]年)、安岡章太郎『私説聊齋志異』(朝日新聞社、1975[昭和50]年)などもふくめて考えると、講談社の出版物だけではなく、朝日新聞の出版物でも同様の装丁をしているということは、安岡章太郎の推薦でこの装丁をしたとしか考えられない。


この独特の装丁は安岡とのコンビで生まれたのであり、安岡が田村式装丁確立の最大の応援者だったのかも知れない。田村の装丁を豹変させた影武者は、安岡章太郎に違いない。安岡との出会いがなかったなら、田村の装丁は、『戦場の村』や『極限の民族』のようなごく一般的に受け入れられるような装丁をしていたことと思う。