文字が演ずる書物の表情…1

最近では手書きの書物タイトルがだいぶ少なくなってきたようにおもえる。それでも手書きの文字のほうが写植やコンピュータで使えるフォントを使うよりは、インパクトがあり内容にあった表情を出せるので、手書き文字は根強く生き残っている。


私がこの業界に入ったのは大阪万国博覧会が終わって数年経過した頃だが、その頃は装丁をやるデザイナーやイラストレータは、今と比べると書物のタイトルを手書きで描くことがはるかに多かった。ほとんどのデザイナーがレタリングを当然のように勉強して、表現の手段としていた。


芹沢硑介(1895年〜1984年)や棟方志功(1903〜1975年)を引き合いに出すまでもなく、戦前はもちろんのこと、戦後の技術発展に伴い写植が普及してからも手書きの文字はその存在を脅かされることはなかった。写真は
芹沢硑介装丁、海音寺潮五郎『史談切捨御免』(人物往来社、昭和42年)
棟方志功装丁、式場隆三郎『脳室反射鏡』(高見沢木版社、昭和14年


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特に、イラストレータが描く文字は絵の一部であり、一体となって強力なイメージを表出してくる。山藤章二和田誠村上豊などイラストレータが描く文字は表情が豊で、文字を読ませ意味を伝えるという役割だけではなく、活字や写植などには真似の出来ない楽しさや悲しさなどの感情表現をも持ち合わせ、見るものの目をひきつける魔力で情報を伝える事ができるという魅力を秘めている。写真は、
和田誠装丁、つかこうへい『幕末純情伝』(角川書店、昭和63年)
和田誠装丁、三谷幸喜『幕末純情伝』(朝日新聞社、平成15年)
村上豊装丁、夢枕獏陰陽師鳳凰ノ巻』(文芸春秋社、平成11年)




このエンターテイメント的な特徴は娯楽的要素のある書物の顔としては歓迎されるが、どの本にも歓迎されるわけではなく、ときにはそんな情報過多が嫌悪される事もなきにしもあらずだ。一つの表現法でオールマイティな表現などあり得ないというわけだ。それはそうだ。喜怒哀楽すべてを表現できるのは般若面だけだ。結婚式と葬式が同じ表現にはならないからね。