田代光:画、長部日出雄「鬼が来た 棟方志功伝」掲載の「週刊文春」

田代光:画、長部日出雄「鬼が来た 棟方志功伝」が掲載されている「週刊文春」(昭和53年)が3冊届いた。画像はその内の1カットで、「カリガリ博士」の映画と国画会展に出品された志功の「門舞十六男女神人」の関連性について書かれた場面の挿絵だ。

田代光:画、長部日出雄「鬼が来た 棟方志功伝」「週刊文春」(昭和53年5月4日号)



田代光:画、長部日出雄「鬼が来た 棟方志功伝」「週刊文春」(昭和53年5月4日号)



映画「カリガリ博士」より

関連する文を引用すると
「大体わがくにで表現派が騒がれたのは、『カリガリ博士』全六巻が、独逸表現派大映画と銘打たれて封切られた大正十年五月以降のことで、当時のあるプログラムによれば『エキスプレッショニズ厶即ち表現派とは一種力の籠もれる従来の映画の行き方に不満を抱き立てる革命的映画にして之をやるに文字も人物も道具も背景も総ての物を三画式に鋭角式に作り上げて居る。蓋し三角は四角よりも、鋭角は鈍角よりも力強き感じを与ふるものだからである」という、はなはだ簡明にして大胆率直なる説明が、ほとんどそのまま二十年後の志功の『門舞神人頌』にもぴったりあてはまるようにおもえるところが、まことに妙である。」という部分の挿絵で、志功が表現派を意識していたのか、という内容は興味深い。