文字が演じる書物の表情……その2

●あなたは葉書を書くとき、手書文字派? 書体文字派?

まだ年賀状を手にして二ヶ月程しか経過していないので、制作した苦労も、受け取ったときの感激も薄れてはいないのではないかと思います。作る立った側に場合は、宛名くらいはコンピュータでプリントしたいと思うし、その方が読みやすいのではないかなんかと自己弁護して、今度は受け取る側としてはプリントしたものはたとえ宛名だけでも味気ないと、評論家に豹変したりしていませんか?


装丁のタイトル文字も手書文字か、書体文字かという選択には、はがきを作るときと同じような悩みと苦労と、ぎりぎりの判断をしているのだと思います。


ラブレターを書くのにコンピュータで打ち込んでプリントアウトしたりする人はいませんよね。文字が下手なのがばれちゃうからなどといってそんなことをすると、恋は成就しませんよ。同じような葉書をいろんな人に送ってんじゃないの? なんて、いらぬ疑いを持たれちゃうからね。


ちなみに、ひげっちさんは「木版画を彫って手書き文字の殺し文句」のラブレターで口説いたそうです。おしゃれでコレ一枚しかないというラブレターは、送った人の人格をも高く評価してくれそうですね。やっぱり擬似餌ではなく、真心込めたおいしい餌を付けないと釣れません。


だからといって結婚式の案内状まで手摺の木版画でやるのはどうかな? 不祝儀のお知らせも故人の似顔絵を版画で彫って丁寧に手書きして送ったら、受け取った人はひくよね。


装丁も同じで、手書きが受けるといって何でもかんでも手書き文字というわけにはいかないんです。
写真下2点とも、おおば比呂司装丁、著『味のあるヨーロッパ』(東京堂書店、昭和63年)、『味のある旅』(東京堂書店、昭和48年)


写真下左山藤章二装丁、飯沢匡飯沢匡刺青小説集』(立風書房、1972年)、写真下右===野光雅装丁、著『味のある旅』(岩崎美術社、1996年)


イラストレータはみんな手書き文字もうまい。もちろん装画との相性もいい。ずらずら並べるときりがないくらい沢山の作品が出てくる。
写真下は2点とも谷内六郎装丁、幸田文『おとうと」(中央公論社昭和32年)、深沢七郎笛吹川』(中央公論社、昭和33年)


写真上;2点ともに芥川賞作家の赤瀬川原平装丁、吉岡剛造『黄金詩篇』(思潮社、昭和47年)、滝田修『ならずもの暴力宣言』(芳賀書店、昭和46年)