恩地孝四郎装丁「みずゑ」

久しぶりに高円寺の古書会館・中央線古書市に行ってきた。相変わらず接客マナーが悪い帳場では、ふんぞり返ってタバコをふかしながら甲高い声で談笑しているのが不愉快だった。喘息気味の私は、すぐにのどに異変を感じて、そそくさと退場してきた。燃えやすい紙を木造家屋の中に押し込んで、そこに人をたくさん詰め込んでいるという、危険この上ないイベント会場であることへの認識がなさすぎる。


消防署も火が出てから飛んでくるのではなく、こんな公共の場所には防火の注意を払って欲しい。『消防法により館内禁煙』のでっかいポスターが貼ってあると私も主催者へ忠告しやすいのですがね。

屋外の道路際には来客用の灰皿がおいてあるが、主催者たちだけは室内で喫煙をしているということになんの疑問も感じないのだろうか? 就業中にタバコを吸っているなんて中央線古書市だけでほかでは見たことがない。ブックオフへ丁稚奉公にでもいって売り子のマナーを勉強してくることをお勧めします。ブックオフにはくわえタバコの売り子さんはいないからね。


かといって、手ぶらで帰ってきたわけではなく2冊購入した。1冊は、手ぶらで帰ろうと思っていた時に、床に広げられていた雑誌の中に見つけた恩地孝四郎装丁「みづゑ」(春鳥会、昭和6年)。保存状態は悪いが安かったので即購入した。まさに一目ぼれの胸キュン本だ。この本のおかげで気分もすっかり上機嫌になってしまった。何せ額に入れて飾っておきたくなるようなこの見事な装丁が300円だから、ルンルンしちゃうよね。この絵のもつ癒し効果なのかな? まさに装丁力だ。



この装丁をした頃は恩地孝四郎の最も充実していた時期だと思っている。大木篤夫『危険信号』(アルス、昭和5年)、金丸重嶺「新興写真の作り方』(玄光社、昭和7年)など抽象的な装画を用いた装丁をどんどん発表していた。私の好きな恩地の装丁はほとんどがこの昭和一桁に集中して作られている。大正時代には、なかなか認められることが出来ずに封印していた抽象絵画の装丁への応用が、この時期になって爆発的に登場する。やっと我が意を得たりとばかりに創作するこの時期は恩地のノリノリの時期といってもよい。



もう1冊は室生犀星『鶴』(素人社書屋、昭和3年)。この本は、以前から知っていたがどうも購入する気にならなかったが、今回はあまりにも安かったので、購入してしまった。普通なら2〜3万円で売っているのだが、函なしで保存状態も悪いので2000円だった。いずれ必要になったときに買い代えるつもりだ。


今までなぜ買わなかったのかというと、手刷木版画を用いた豪華な装丁なのだが、この時期の恩地の作品とは思えないくらいに奇妙で納得できない装丁だからだ。何が変なのかと言われると、あまりにも風呂敷の模様みたいでグロテスクで、びっしりと詰め込まれた模様は息苦しく、どことなく気持ちが悪い。恩地らしくないのだ。



私の不可解さを払拭してくれる文章が巻頭に「表紙装幀その他」として掲載されていたので、それを読んで納得させられた。「表紙装幀は支那の布の絵を、その壗恩地孝四郎氏に複写して貰うたものである。困難な仕事に好意を持ってくれた恩地に感謝し、久振りで君の装幀を得て喜びを感じます。」と。犀星独自の装丁論である「自分の本の装丁は著者自らやるべき」を押し通したものともいえるが、私には、音痴が歌うのを無理やり聞かされているような気がしないでもない。「恩地」の名前も二度目には呼び捨てにしているのも引っかかる。


恩地としては詩人としても、かつて「感情」でお世話になり、『愛の詩集』(感情詩社、大正7年)、『性に目覚める頃(新潮社、大正9年)などの装丁もやらせてもらっている。断るに断れない仕事だったのではないだろうか。以前にも、傲慢で強引な室生との作業をあまり好まなかった事を吐露した恩地の文章を紹介したことがある。