昌三は私が育てた!

 
日本古書通信 斎藤昌三翁追悼特集』(日本古書通信社、昭和37年2月)に、長尾は《大正十年夏、世はパニック時代というのに、私は意気揚々と、前記の会社を足蹴にできたのは、斎藤さんの口ききで、同年末、崇文堂発行「芸術」(雑誌)の編集にたずさわる予約があってのことだった。この芸術社から「日本文芸筆禍史」の上梓に当たっては筆禍目録を編集して差し上げ、また三徳出版「性的神の三千年」では校正のお手伝いができるまでに私も生長させて貰ったものだ、筆禍本探識眼もウンと開いて貰った物だった。》と、「斉藤を育てたのは私だ」といわんばかりの自作自演の手柄話だ。