大貫伸樹の造本探検隊37(「きょろろ鶯」)

shinju-oonuki2005-09-22

ゲテ本とは打って変わって品のある装丁だが、これも書物展望社の出版物である。白山春邦装丁、北原白秋『きょろろ鶯』(書物展望社昭和10年)と、木下杢太郎自著自装『雪櫚集』(書物展望社昭和9年)は書物展望社の本の中でも格別に見事な装丁といえるだろう。ゲテ本とは違ったもう一つの出版人の良心を感じることが出来る品格の高い装本である。木版摺りの表紙はもう今日ではなかなか制作できない書物となってしまった。面取(めんとり)といって、表紙の縁を斜めにカットしているのも、丁寧な本の作りの証である。
 
「人件費の安い戦前だから出来たのだろう」などの意見もあろうが、昔は昔なりに大変な思いをして制作している。今では、そろばん勘定が先にたち、手間隙かけて金かけて、そんな大変な思いをしてまでやる出版社があるかどうか。斎藤昌三も決して楽をして制作したのではないことを「随筆集 きょろろ鶯」(今村秀太郎書物展望社本』日本古書通信、平成7年)に記録している。
 
「この書の特色は従来の白秋自身の装釘を捨てゝ、初めて彼の信頼する白山春邦氏に一さいを任せたもので、表紙の精緻な楢の枝葉を表裏一杯に木版手摺りにしたものであるが、これが在来の版画師では心細いといふので、龍生閣の沢田君の紹介で山口という刻師に依頼したのだった。」と、この見事な版画を創作できた影には、彫師を探すだけでも大変な苦労があったようだ。
 
さらに「お蔭で此の表紙は及第し、四枚の中扉も原画のまゝの凸版で文句はなかったが、折込の口絵にした砧村風景をオフセットにしたのが、何回訂正しても春邦画伯に気に入らないのでほとほと困却したのだった。表紙絵を承けた見返の薄水色にしても、及第させるまでには砧村まで幾回も足を運んだのだった。」と書いている。白秋に完全委任された春邦は、意気に感じて精一杯の力を出そうとしたのだろう。その結果、斎藤にとっては、苦労の多い仕事になってしまったようだ。
 
白秋の人の使い方のうまさが、この見事な装丁を生んだといっても過言ではない。漱石も芥川も装丁には口出しせずに、装丁家を信頼し任せたという。大物は、こうして後世に殘る見事な装丁で自らの著書を飾ったのである。