大貫伸樹の造本探検隊36(「書物展望社本」)

shinju-oonuki2005-09-20

仕事で水道橋に出かけたついでに、久しぶりに古書「玉晴」によってみた。何点か購入した中に、今村秀太郎書物展望社本』(日本古書通信社、昭和46年)があった。今村の著というよりは編著である。
 
巻頭に斎藤昌三の「展望社の思ひ出、其他」と題する文が10頁ほど掲載されている。昭和28年に書かれたもので、斎藤の晩年のものである。私がずっと気になっていた「なぜ斎藤は、ゲテ本にのめり込んだのか?」について書かれていたので、引用させてもらう。

「円本の氾濫から造本も装幀も書痴には不満の傾向があったので、茶目気分からゲテ装で一部の読者の渇を医そうとしたのが、偶然共鳴者が多く出たので、前後百五十種も出版した結果が「展望本」として、注目さるゝやうになったのである。」と,きっかけは円本への不満だったようである。
 
斎藤の快心の作は「昭和七年の第一版で内田魯庵の『紙魚繁昌記』の酒嚢本が、内容外観共に自身がもてた。」とあり、ゲテ本の中でも比較的おとなしい『紙魚繁昌記』であるのは以外だった。
 
「内容の選択から一任されたものでないと存分のものは出来ないように考へられた。」とあり、すべてについて信頼された時に、斎藤の想像力もエネルギーも発揮され、モチベーションが高まったようである。
 
このことは、今日でも言えることで、版元は心に刻んで欲しい。金を出しているからといって、何でもかんでも口を出せばいいものができるとは限らない。むしろその逆であることが多い。自分で不利益を蒙るのだから言いなりにしておこう、へたに口を出して恨まれでもしては割があわない、とばかりに見放されているのである。信頼されれば力も発揮されよう。