三日月湖もどき不思議坂

西東京市都市伝説❻三日月湖もどき不思議坂】青梅街道を新宿方面に向かって東伏見神社を通りすぎると緩やかな坂がある。30年前から解けない謎となっているのは、その左側にある三日月湖形の100mほどの坂だ。半円を描くようにして、また元の青梅街道に戻ってしまう。不必要な道ならわざわざ舗装はしないはずだが、なぜか綺麗に舗装され、おまけに青梅街道から目隠しをするかのように木が生い茂り、駐車して一休みするための分離帯のようになっている。

無用の長物だと思うのだが、なぜ残っているのか?


歩道橋の上からも考えた。


 昭和14年に発行された古い地図を見ると、もともと道がカーブしていたことが分る。青梅街道の拡張工事で直進にされ、カーブ道が三日月湖のように残ってしまったのではないだろうか。

昭和14年に発行された古い地図



最新の地図


 では、昔の道はなぜカーブしていたのか? つらつら考えるに、青梅街道は1603年(慶長8年)江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として、大久保長安の指揮の下に整備されたもの。となると、何かを避けるために遠回りしたカーブではなく、荷車等が坂を登るのは大変で、日光いろは坂のようにカーブを繰り返して勾配を緩やかにしたのではないか? と推察するのだが、いかがだろうか。
 地図には崖の記号があり切通しだったらしく、青梅街道と並行して東伏見小学校の前から下野谷遺跡に向かう急な坂道があるが、青梅街道の坂もこんな勾配だったのではないだろうか。
 私はこの赤瀬川原平の「トマソン」のような無用でありながら生き残っている坂に敬意を込めて「三日月湖もどき坂」と呼んでいる。