画面の隅々まで緊張感あふれる伊藤彦造:画「天平童子」

挿絵画家・田代光の話で続けようと思っていたが、伊藤彦造の挿絵が出てきたついでにもう一点紹介しよう。鍔迫り合いではすっかりけなしてしまった伊藤彦造34歳の時の作品、吉川英治天平童子」(『少年倶楽部』昭和12〜14年)だが、画面の隅々まで緊張感あふれるこの見事なこの挿絵も「鍔迫り合い」と同じ作品。幼い頃から虚弱体質だったという彦造だが、生没年を調べたら1903年 - 2004年というから101歳の長寿だったようだ。


田代光は、右の目がソコヒ(現在でいう白内障)で見えなくなった事を次のようにあかしていた。
「僕は眼を悪くしてから三十年近い友であったスケッチブックと別離しなくてはならなくなった。画家がスケッチブックを手離すことは、武士が丸腰になったようなもの。悲しいことだが明日に希望がないわけではない。右目のソコヒが全快した時に再び両刀を腰に差すことが出来るだろう。その日まで静かに待つことにする。」

(「スケッチブックとの別離」、「さしゑ」3号、挿美会、昭和31年)。43歳での白内障はよくあることだと思うが、画家にとっては雑誌に公表するくらいショックだったのだろう。
 実は私も昨年の健康診断で白内障といわれ、近いうちに手術しなければ。