“悪人画家”田代光が「白い巨塔」の挿絵を担当

山崎豊子白い巨塔」(「サンデー毎日」)の挿絵画家を選考するために「集められた資料が二十数点、そのなかから、一考二考三考と選考して、最後の残ったのが、宮本三郎さんと私のふたりだった。…実はそにとき、私は『週刊朝日』で石川達三さんの『傷だらけの山河』を担当していたのである。

田代光:画、石川達三「傷だらけの山河」(『週刊朝日』1964 昭和39年)


「傷だらけの山河」に挑戦して『白い巨塔』を打ち出すのに、画家が同一人物になることはできるだけさけたかったのである。そこで再考してみたが結論は同じになった。柔和な顔をした大悪党を描けるのは宮本をおいては、田代以外にないということになったらしい。それ以後、私は“悪人画家”という異名を冠せられてしまった。かつて清水崑が、「田代は珍しく悪人が描ける人だ」と話したのを聞いたことがあった。」(田代光「私は悪人」《『変手古倫物語』美術倶楽部、昭和56年》)。

画像左=田代光:画、山岡荘八織田信長」(『小説倶楽部』桃園書房、1958年)。
右=田代光:画「厶ソルグスキー」、和田潤「愛は深い霧の彼方に」「婦人倶楽部」昭和28年。
別に織田信長ムソルグスキーが悪人というわけではありません。



田代光画、山崎豊子白い巨塔」(『サンデー毎日』1963年9月15日号〜1965年6月13日号)