『サンデー毎日』の新連載、山崎豊子「白い巨塔」の挿絵画家を選考するために
「集められた資料が二十数点、そのなかから、一考二考三考と選考して、最後の残った
のが、宮本三郎さんと私のふたりだった。…実はそのとき、私は『週刊朝日』で石川達三さんの『傷だらけの山河』を担当していたのである。『傷だらけの山河』に挑戦して『白い巨塔』を打ち出すのに、画家が同一人物になることはできるだけさけたかったのである。そこで再考してみたが結論は同じになった。柔和な顔をした大悪党を描けるのは宮本をおいては、田代以外にないということになったらしい。それ以後、私は“悪人画家”という異名を冠せられてしまった。かつて清水崑が、「田代は珍しく悪人が描ける人だ」と話したのを聞いたことがあった。」(田代光「私は悪人」《『変手古倫物語』美術倶楽部、昭和56年》)。