斎藤佳三のモダンな手描タイトル

斎藤佳三(1887-1955)は、図案家、作曲家、舞台美術家、演出家、あるいはドイツ表現主義の図案・版画の紹介者などと、多方面で活躍したことで知られている。ここでは、そんな斎藤の手描のタイトルに絞って作品を鑑賞してみようと思う。
 斎藤は作曲家を志して官立東京音楽学校東京芸術大学音楽学部の前身)に進学し、そこで一つ年上の山田耕筰を知り、小山内薫北原白秋三木露風らと交友を結ぶ。が、小山内の妹にデザインの才能を見出され、また、舞台芸術に触れ、音楽学校を中退し官立東京美術学校東京芸術大学美術学部の前身)図案科に再入学する。
 卒業前の大正元年(1912)11月にドイツに渡る。明治43年に渡欧していた山田耕筰と同宿しながらベルリン王立美術工芸学院で構成美学を学び、あわせて、ダルクローズの主宰する音楽舞踊学校で、リズムに関する研究も積む。

 大正3年1月、大戦の気配が濃くなったので、山田とともにシベリア経由で急遽帰国、早速、持参してきた表現派の獨逸シトゥルム分社主催「DER STURM木版画展覧会」を日比谷美術館で3月14日から28日まで開催した。これが日本初の西欧版画展となり、恩地孝四郎白樺派東郷青児らに影響を与える。

▲「DER STURM木版画展覧会」図録、1914年

 斎藤は一方で、草創期の映画とのかかわりも深い。大正九年に蒲田撮影所ができると小山内薫がそこの所長になり、斎藤は美術部長として参画する。小山内は付属の松竹キネマ俳優学校の校長も兼ねており、斎藤はそれに協力して小山内とともに俳優教育にもあたった。二人は学生時代・ベルリン時代からの友人同士だから、力を合わせて映画という新しい芸術分野に飛び込んでいったのである。昭和六年にトーキーが誕生するが、その前年に試作品として「故郷」が製作された。この映画は、斎藤が作曲した「ふるさとの」を主題とした作品で、藤原義江と夏川静江が主役を務めている。

 今回紹介する斎藤が装丁を担当した楽譜のタイトルに使われている文字は、大正末から昭和初期に大流行したキネマ文字と呼ばれる書体がふんだんに使われており、映画や音楽、美術など広い範囲で活躍した斎藤を象徴する総合的な作品のように思える。

 ▲新聞全面にキネマ文字で書かれた映画広告があふれる『朝日新聞』(昭和2年4月21日)



・斎藤佳三装丁「洒落男」表紙(ビクター出版社、.昭和5年1月)
・斎藤佳三装丁「都会交響楽」表紙(ビクター出版社、昭和4年



・斎藤佳三装丁「金座金座」表紙(ビクター出版、昭和4年
・斎藤佳三装丁「満州前衛の歌」表紙(ビクター出版社、昭和4年)
 



・斎藤佳三:装丁「ミス・ニッポンの歌」表紙(ビクター出版社、昭和5年
・斎藤佳三:装丁「女給の唄」ビクターハーモニカ特選楽譜No.11、(ビクター出版社、昭和5年) 



・斎藤佳三:装丁、日活映画主題歌「エロ感時代の歌」楽譜表紙(ビクター出版社昭和5年10月)
・斎藤佳三:装丁「夢の女の歌」楽譜表紙 (畑耕一:作詩 中山晋平:作曲 ビクター出版社、昭和4年



・斎藤佳三:装丁「野球メロディー」楽譜表紙(時雨音羽:作詩 佐々紅華:作曲 ビクター出版社、昭和4年
・斎藤佳三:装丁「山の歌」楽譜表紙(時雨音羽:作詩 佐々紅華:作曲 ビクター出版社、昭和4年



・斎藤佳三:装丁「愛して頂戴」楽譜表紙 (西條八十:作歌 松竹蒲田音楽部:作曲 ビクター出版社、昭和5年
・斎藤佳三:装丁「母の歌」楽譜表紙(鶴見祐輔:作詩 中山晋平:作曲 ビクター出版社、昭和5年



・斎藤佳三:装丁「緊縮小唄」楽譜表紙(西條八十:作詩 中山晋平:作曲 ビクター出版社、昭和4年
・斎藤佳三:装丁「不忍小唄」楽譜表紙(時雨音羽:作詩 佐々紅華:作曲 ビクター出版社、昭和4年



・斎藤佳三:装丁「モダン東京」楽譜表紙(ビクター出版社、昭和4年
・斎藤佳三:装丁「四季の満州」楽譜表紙(佐々紅華:伴奏編曲 伊藤孚遠:旋律・作詩 ビクター出版社、昭和4年



・斎藤佳三:装丁「東京行進曲」ビクターハーモニカ楽譜(松原千加士:編曲 西條八十:作歌 中山晋平:作曲 昭和4年
・斎藤佳三:装丁「女性讃 [A]」 (西條八十:作詞 近藤柏次郎:作曲 ビクター出版社、昭和5年



・斎藤佳三:装丁「かちどきの唄」ビクターハーモニカ楽譜No.1(松原千加士:編曲 時雨音羽:作詞 佐々紅華:作曲 昭和4年
・斎藤佳三:装丁「海のメロディー」ビクターハーモニカ楽譜(松原千加士:編曲 時雨音羽:作詞 佐々紅華:作曲 ビクター出版社、昭和4年