「たけくらべ絵巻」「濹東綺譚」「縮図」など吉原、玉の井に

11月の講演12項目の中に、「たけくらべ絵巻」「濹東綺譚」「縮図」など吉原、玉の井など遊廓に関する内容や、「愛の勝利」など昭和初期の銀座に関する話があり、その方面の事に関しては大分深く興味を持ち資料も写真のように沢山集めた。


今では目を瞑ると新吉原まで舟で行きそこから歩いて大門をくぐる様子が浮んでくるようになった。
 樋口一葉の家が斎藤真一『吉原炎上』(文春文庫、1987年)に地図上に示してあるのは、木村荘八たけくらべ絵巻」に描かれている情景をよりクリアにイメージすることが出来るようになり、大いに参考になった。左の中央部分の斜めの道に黒く塗り潰してあるのが一葉の家があったところだ。


斎藤真一『吉原炎上』(文春文庫、1987年)


吉原炎上』の「廓の周囲は一面の吉原田圃だった」という文章に付けられた挿絵には、ちょうど、木村荘八が、「たけくらべ絵巻」に間違って描いてしまったという、「刎ね橋」が描かれていて、2階の天井まで届きそうな長い板で、対岸には刎ね橋の受け台がしっかりと描かれていた。
 斎藤真一はこの絵を描くのに、何を資料として描いたのだろうか? と、そちらの方も気になってきた。



昭和初期の銀座も昔の数寄屋橋、京橋など地名ではない橋の姿や、白木屋資生堂服部時計店などが並ぶ銀座を歩く様子を思い浮かべられるようになってきた。

福田勝治 :写真「アルス・グラフ臨時増刊 銀座」(アルス、1952年)


 しかし、講演はそのようないにしえの銀座案内ではないので、ちょっと横道にそれ趣味に走りすぎているかな? と、少〜し反省!


徳田秋声『心の勝利』(砂子屋書房昭和15年)にはすでに65点の挿絵が挿入されているが、人物を中心とした挿絵で、せっかくの舞台となった東京市内の名所とも言うべき建物が沢山登場するのに全く描かれていない。そこで、銀座を中心とした登場する東京の店や建物の単語に赤丸を付けて拾い上げ、その写真を雑誌などから探し出し、挿絵のように掲載させた、新しい頁を創ってみた。11月に金沢・徳田秋声記念館での講演用につくった実験的な原稿。
 こんなイラストがはいっていたら、もっとよく内容が理解出来るようになり、秋聲が嬉々として散策して楽しんだときの気持ちと同じ気分を味わいながら、もっと深く内容を理解できるのではないだろうか?





装幀・挿画:吉田貫三郎、徳田秋聲『心の勝利』丸背紙装上製本表紙、(砂子屋書房昭和15年3月5日発行)


徳田秋声記念館での「挿絵画家・木村荘八」の講演なのだが、秋聲の小説の挿絵に関する話も多少はするべきか? と思い、近所のリサイクルショップで徳田秋声『あらくれ』(新潮社、大正4年)復刻版を200円で購入。しかし、写真左(部分)の下にある「S」の下に点が7つあるこのサインが解読出来ず装丁したのが誰なのかわからない。昨夜から心当たりのある苗字が「さ行」の挿絵画家や名前が「さ行」のサインを意地になって調べているが判明しない。写真右上は太田三郎のサイン、下は斉藤五百枝。

徳田秋声『あらくれ』(新潮社、大正4年)復刻版