小杉放庵記念日光美術館で「挿絵で綴る文学 木村荘八の挿絵」を講演

24日(土曜日)に、小杉放庵記念日光美術館で「挿絵で綴る文学 木村荘八の挿絵」を講演してきた。電車から降りてもさほど気温の変化がないのではないかと思えるほどに、涼しく空気が爽やかで、目には緑が一杯の日光は最高の避暑でもあった。



たけくらべ絵巻」を読み解く。「紅入友仙」ってどんな布? 真っ赤な絞りでいいのだろうか?




1冊まるごとどの挿絵もラグーザやお玉が描いた絵の模写か複写なのに、上野のお山で活躍する画家が、このような仕事をなぜ引き受けたのか? 模写にはサインの後に「模、写」の文字を加えるのは、「私はこんなタッチでは描きません」という自己主張と「資料としては重要なので描く必要があった」という言い訳か?



講演原稿を書いて行くうちに偶然見つけた。「たけくらべ絵巻」に中にある木村荘八:画「酉の市に賑わう吉原」(大正15-昭和2年、左図)は参考にした右の図、山本松谷:画「吉原各楼之圖」(「風俗画報、東京名所図絵新吉原、明治30年)に似過ぎている? なのにサインには模写を意味する「模」の字がありません。今ならば、問題になりそうな、危ない絵だ。



左の写真の人物が挿絵にも描かれているので、現場での写生ではなく写真を模写したことが分かる。失念では済まなくなるので、「模」の字を忘れないように! なんか、荘八の挿絵のあら探しになってしまいましたが、消してそのような内容ではありませんでした、念のため。


こんな感じで、スクリーン画像40枚ほどを使いながら2時間たっぷり講演してきた。


 翌日は、日光・神橋から山のてっぺんにある家康公墓所までちょっと散策に。とのつもりだったが、気が遠くなるほど沢山の階段は病み上がりにはちょっと過酷な観光だったかな。それでも涼しいせいか汗もかかずに快適だった。





 帰宅すると、金沢の徳田秋声記念館から講演の依頼が届いていた。資料集めから約3ヶ月に渡る準備と緊張感からの解放感、やっと終った安堵感なのか疲労感なのか、今は次の講演を考える気力が起きないない。