画譜説明 日下令光(『花の生涯画譜』巻頭より)
船橋聖一氏の小説「花の生涯」は、昭和二十七年七月十日から翌年八月二十三日まで、通算四百八回に亘って毎日新聞に連載された。新装をこらした時代小説として、広く熟読された。まや、この小説に毎回寄せられた木村庄八氏の挿絵は、近来の傑作で絶賛を博した。
こんど、この挿絵の中から特に百葉が選ばれて一巻の画譜にまとめられることになった。
すでに、絵は、原作を離れて独自の歩みをしているものであるが、、更に一層本画譜に興を添えるため、収録された挿絵に簡単な説明をほどこすことになった。いわば、挿絵を舞台に上げるまでの、裏方の仕事がこの説明の役割である。しかし、もとより十全は期し難いので、詳細を望まれる読者、愛画家のためには、新潮社版「花の生涯」(初版正、続)により、挿絵の該当箇所を示した。
なお作者船橋聖一氏は、本画譜にため、原文の引用を快く承諾された。
表紙(本文の八)天保風俗 藩主直亮(なおあき)が江戸表から帰ってきた。直弼は兄を迎えて江戸の模様を聞いた。水野越前守の政治、天保の改革は、富札、農夫の蠟燭使用、村落の江戸菓子販売禁止をはじめ、町人男女共、羽二重、縮緬、繻子等は、帯、襟、袖口にするのも一々罰するという有様。図は当時の江戸風俗を伝えている。(四四の一三)
裏表紙(本文の六三)誓いの絵馬 安政仮条約の勅許を請うため、老中堀田らが自ら上洛の旅に立つ少し前、長野主膳は、直弼の名をうけて、京の地を踏んだ。
定宿俵屋で.、主膳はたか女に会い、「九条関白殿へお目通りを得たい」と、相談を持ちかけた。そのころたか女は、多田一郎の妻でいることに身の危険を感じていた。この上は、「もう一度、あなたに助けて戴いて」身を隠したいとたか女は云った。(続106ノ4)