紋次郎の風貌については第1作「赦免花は散った」に「切れ長の目に、一種独特の冷たさがある鼻も高いし口許も引き締まっていた。……その渡世人は、左の頬に傷跡を持っていた。もちろん、刀傷である。……その長身の渡世人は今年で三十になる。」とあるのが、紋次郎について書かれた風貌で、これを元にして挿絵画家が紋次郎像を創作していったのだろう。登場人物の特徴を絵で示す作家もいるようだが、紋次郎については、打ち合わせをしたのか、絵を示したりしたのか未調査で不明。


 昭和46年7月に発表された第5作「水神祭に死を呼んだ」には「渡世人の両頬は、病後のように削げ落ちていた。長旅を続けているにしては、顔の色が青白かった。何を考えているのか、わからないような目をしている。妙に冷たく沈んでいる眼差しだった。虚無的な翳りが、そのほりの深い顔立ちに凄味を漂わせていた。……空を見上げた渡世人の左の頬に、刀の傷跡が残っていた。小さな傷跡だし、かなり古いものだった。その両端が引き攣っているのも、さして気にはならなかった」と更に詳しく書かれている。




小林秀美;画、笹沢佐保木枯し紋次郎/念仏は五度まで」(「小説現代講談社、昭和50年7月号)



堂昌一:画、笹沢佐保木枯し紋次郎」(小説現代河北新報、1975)



堂昌一:画、笹沢佐保『帰って来た紋次郎』(「新潮文庫」平成9年9月)