「夢二、與平、それは甘い感傷と新しい型式とに依て、青年子女の好みに投じ人気を得てゐた。何れも獨立したコマ繪であり一種の叙情的詩畫であつて、小説の挿画、装畫漫畫(今いふそれとは少し氣持が異ふ)と稱したコマ繪は、この二人より以前に、芋銭、未醒、素明、柏亭恒友、鼎、その他多士儕々で──掲載紙の名も多數だから省略──太田三郎の畫集も稍(やや)センチな題材のものは、相當なファンを持ち、若き耕花、榮達あたりが既に新しい挿畫を試みていた。



名取春仙:画、島崎藤村「春」


 明治四十四年前後の畫集全盛期には、芋銭の『學汁漫畫』未醒の『漫畫一年』『西遊記』『水滸伝』をはじめ、清方の『金色夜叉繪巻』が出れば同時に三郎、龍子、私、合作の『金色夜叉畫譜』が現れるといつた調子で、龍子の『漫画日記』私の『古事記畫噺日本の神様』。



名取春仙:画、島崎藤村「春」

私、一平(彼の処女作)、勝之助(仲田)三人の『漫畫と譯文』が出たり、私の『デモ畫集』以後、の小説挿畫其他の二篇が、精美堂の出版中止當つた時に、お蔵となつたのと運命を共にした龍子の『東海道五十三次』なるよきものを、私は今だに惜しまれてならない、後年震災の時原畫原版共灰になつた事と思ふからどう仕様もない。」(つづく)



名取春仙:画、島崎藤村「春」