谷崎潤一郎の「蓼食う虫」の小出楢重のさしゑがまたたのしいものでした。それからあとは永井荷風の「濹東奇譚」の木村荘八・徳田秋声の「縮図」の内田巖。それから何という題の小説だったか阿部知二の鎧文吾という主人公の出てくる小説のさしゑ脇田和。まだ思い出せばいろいろありそうです。夢二がおもしろかったこともあるし、童画では初山滋がいいと思ったこともあります。



木村荘八:画、永井荷風「濹東奇譚」



内田巖:画、徳田秋声「縮図」


さしゑは一作品ではなくてマスプロによって直接大衆によびかけることのできる絵の一種、とことわるまでもなく、樹分それの専門家として立っているものだし、立たねばならぬものだと思います。思うようになりました、と言った方がいいでしょう。いつころからだったか……。それ以後はむしろ、さしゑ画家、カット画家、漫画家、童画家、版画家などのしごとはおのおの独立した専門分野の仕事であるべきで、もちろんそれらの人々がタブローを描いていけないなどということはあり得ませんが、すくなくともタブロー描きに対してひけめを感じたりする必要はあるべきでないと思うようになりました。


中でさかさの順言でいうと版画家、童画家、漫画家は、インフェリオリティ、コンプレックスというようなものをもっていたかいないかは別として早くから独立の専門分野をおのおのひらいていましたが、いちばんおくれたのがさしゑとカットを描く人たちの独立だったでしょう。岩田専太郎はじめたくさんいるじゃないかと言っても、それはちがうのです。自他ともに職人意識みたいなものがこびりついているからなのです。(続く)