●コマーシャルデザインと挿絵 宮永岳彦

 画家の間でよくこんな会話をする。
「展覧会の方は如何です」
「やあ、今制作で大変ですよ。だがね君、金がなくて困っているよ。制作が終ったらアルバイトをしようと思っている。」
「たいへんですね」
「本の表紙か挿絵を仕様がないから描くだけのことさ」


 実に認識不足の馬鹿さをさらけ出しているではないか。日本人には、まだ画家という言葉が何か社会人より遊離して別世界の人の種に取り扱わなければならないといった様な考え方があるのではなかろうか。また画家自身、別行動をゆるされていると黙認しているようだ。
 私は画家にせよ全ての者は皆一社会人として同じで人間的欠乏は認める事が出来ぬと信ずるものである。


 前の画家の会話で表紙、挿絵を描く事を非常に軽蔑している事は、それらの芸術を理解せずカンバスに向かい何となく絵を描くという型にはまった態度が芸術であると誤解している向きが多分にあるからである。


表紙には表紙の芸術があり、一部もゆるがせにする事は出来ぬ物でなければならない。表紙に挿絵にそれぞれの生命があると同時に、これをもっと広大に利用活用して社会の為にその芸術を提供してこそ現代人の在り方であり、現代人であるとおもわれる。イラストレーションをコマーシャルアートに応用し、表紙の店頭効果をポスターに応用し、その利用範囲は多方面にわたっている事を心せねばならない。


又、宣伝美術には絵画・表紙・挿絵と異なった目的があり互いに相容れないものがある。あくまでも、コマーシャルとしての制約を把握して、デザイン本来の型体を保たねばならぬ為である。コマーシャルのシステムを詳細に説明する必要はあるが、この事は後回しにして挿絵を利用するデザインとして。そのデザイナーの在り方を申す事にする。デザイナーとして、特色ある独自のスタイルを持つ事は理想であるが、それを確立する迄には、あらゆる表現様式を研究する事が必要である。これは挿絵に於ても言える事である。


イラストレーションを宣伝美術に利用する事は其の広告主である会社、商品の性格、及び季節等がテーマになる。レイアウトは、与えられたテーマによりサブタイトルと共に先ずアイデアを頭に浮かべる。



宮永岳彦:画、ポスター



宮永岳彦:画、ポスター


さて如何にイラストレーションを表現するかという事は、実はテクニックマチエールの選択であり、同じアイデアであっても選択の仕方によって種々異なったイラストレーションの表現が出来る。
 逆に言えば同じ手の絵を描いてもテクニックとマチエールの選択により、銀行には重量感を、化粧品には、すっきりと、飲料には爽快感を与えて表現する事が出来る。


 マチエールは従来のものに画廊としてクレヨン・コンテ・パステル・マッチの軸・竹ペン・石膏・紙・キャンバス・写真等を利用すると面白いものが出来る。
 イラストレーションの利用は、テクニックとマチエールを平行して考えねばならない。
 この様に、挿絵を商業美術に持ってゆく事は宣伝という世界の内容を理解して、挿絵は挿絵に終らず、それをいかに利用してゆくかは諸君の頭による問題である。
 広く利用して行く事を望む次第である。
 今回は、グラフィックデザイン、シュパンヌング造型の表現法をさけての話で単なる一方法を述べたに過ぎないのである。(筆者は二紀会々員)