今回は、小泉純「挿絵太平記」(「さしゑ」1号、挿美会、昭和34年4月1日)を紹介しよう。

本絵を描くのは、非常に高尚な仕事で、挿絵を描くのは、ひどく低俗なわざだと思いこんでいる人がいる。
 一般世間で、そう誤信しているのなら、まだ許すべきだが画家自身の中に、そう信じ込んでいる者が、比較的多く存在するのは、全く救い難い。


 「おれは本絵かきである。挿絵なんておかしくって」
とうそぶく自称芸術家もとんだ鼻つまみだが。
「生活のために、自分は挿絵をかいている。然し、本当は本絵をかきたいのである。」
と泣言をいう卑下マンも、困りものの点では同類項である。この手合は論文といえば、七面倒くさい熟語をならべ、文章をひねくり、難解にかいたのが立派だ、と信仰する、文学青年と兄たり難く、弟たり難い。


挿絵は、本絵と相並んで、高度の美術的価値を有するもの。一流の挿絵画家の地位は、三流本絵かきにまさること、数等であるべきだ。油絵でカンバスにかいたり、岩絵具で絹本にかいたりすることが立派なのではなく、そこに描かれたものが、常に問題になるのである。(つづく)