私の挿絵の出来る迄

 まず小説を読みます。その内容、登場人物、場所小道具などを具体的に決めてゆきます。そして幾つかの場面を選ぶわけです。かりに原稿用紙五十枚の小説にカット一枚。挿絵三枚を入れることにします。この四枚の絵をどう扱うかが最初の問題です。カットは一番初めの絵で題字も入ります。常識としては派手な絵を描くことになっています。次にさしえが三枚入ります。四枚一組の絵をどうまとめるかが一枚の絵をしっかり描くのと同じように大切です。


構成する力がつけばさしえとして面白さをいかんなく発揮出来ると思います。こういう構成力はさしえ独自のもので、古い時代の絵巻物には共通の物があります。ディズニーの面白さには構成力によるものが多いと思います。


場面が決定したら登場人物のポーズですが、私の場合は手近な者にモデルになってもらい、デッサンを取ります。物によっては終始一貫したモデルを使って、モデルの個性を作中の人物に置きかえることもします。新聞のさしえの場合など大体そうしています。時には妻にポーズをさせて、男の骨格に仕立てることもあり、自分自身姿見を通してポーズをしてみることもあります。いづれにしろ根本をなすのはデッサン力の蓄積ですから、終始不断の努力が大切です。好いさしえを描けるか描けないかの根本はデッサン力にありあます。


現在の挿絵画家の中には挿絵(模写)から入った人もありますが、これでは駄目です。自分で物を見て自分で描くのでなくては、本当のさしえは描けません。日本画家が長い間現代風俗が描けなかったのは、写生から入らずに模写から入ったためです。日本画と油絵の違いは、油絵が石膏デッサンから入るのにたいし、日本画わ写本から入ったのです。結果的にいうと日本画日本画的枠から一歩も出られなくなってしまったのです。


現在の日本画は油絵と同じように、石膏デッサンから入っているようですから、本質的に違ってきていると思います。


さしえも日本画と同じような習得技法があります。先輩の絵を写すことによって、描く力をつけてゆくのですが、これでは本当の物が描けません。生きた人間を描くためには生きている人間を見なくては駄目です。(つづく)