連載小説のさし絵画家が突如亡くなってしまっては、作家や編集者は慌てただろうな。何せ連載が始まってまだ4回目でのことだから。1974年新年号に第1回目が掲載され、最初の見開きには、岩田専太郎のさし絵が1頁大で掲載された。私の好きな大げさなパースを採り入れ、人物の顔を小さくデフォルメしている。さらに3点の絵を同一画面にコラージュしている。画面にうまくおさまりすぎているのがやや絵を小さく見せているように思える。



岩田専太郎:画、山岡荘八徳川家光」第1回叛骨の森の巻(「小説サンデー毎日」、昭和49年)
連載小説の最初の絵は難しい。登場人物に関しての詳しい記述がなくとも、人相や髪形、服装などを決めていかなければならないのだから。つまり、さし絵画家のほうが細部まで決めていかなければならないので、時代考証の知識なども持ち合わせていないと、描き進めることはできない。


試しに、「徳川家光」の書き出しの部分を掲載してみよう。この文章から上記の絵を描くのだから、まさにさし絵画家は、著者と二人三脚で書き進めるコラボレーションによる創作なのだ。



岩田専太郎:画、山岡荘八徳川家光」第1回叛骨の森の巻(「小説サンデー毎日」、昭和49年)







考える人 2010年 08月号 [雑誌]

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