ゴールデンウィークは、混雑を避けて、専ら近場を散策していたが、10日(日)も月島、佃島へもんじゃ焼きを食べに行ってきた。

もちろん写真も130枚ほど撮影してきた。フィルムで撮影していたら、36枚撮りで約4本分だ。期せずして、消えつつある1900年代を写し取ってきた。



月島にはもんじゃ食べに来たのだが、もう一つの目的があった。水路に浮かぶ小船を見たかったからだ。しかし、船よりもビルが目立ち、ちょっと絵のモチーフとしては風情がなく、私の予想は裏切られてしまった。それもそのはず、ここは、銀座一丁目から地下鉄で二駅で、歩いても30分くらいで来られるのではないだろうか、そう遠いところではない。


そのままでは絵になりにくいが、それはそれで、時代を表現する面白い風景でもある。水面の感じなどは、このままでも既に絵になっている。



高速道路とお寺の瓦屋根のコントラストが面白く、侵食されていく昔の風景が、ここにもがんばっているようで、拍手を送ってしまった。お寺もビルも高速道路も人工物には変わりないが、まだ、お寺には直接に人間の手を使って造り出したぬくもりのオーラのようなものを放っている分だけ、救われる。



もう一つ、がんばっている風景を見つけた。銭湯だ。銭湯は残っても、後方に見える煙突は、近い将来、使われなくなってしまうだろう。この辺は、煙突よりもはるかに高い超高層マンションが川べりに建ち並ぶので有名な所だ。「あんまり♪煙突が高いので♪さぞやマンジョン住民はけむたかろ♪」なんて、歌われているのではないだろうか。



懐かしい風景が消えていく場面に出くわし、思わずパチリ。鉄骨で組み立てられた工場内の構造が美しい。消え行く寸前だからこそ美を感じるのだろうか。芸術は永遠であってはならないとする『金閣寺』炎上にも似た美意識が存在するとまでは言いませんがね。


暖かさに誘われて工場の内部にまで、植物がはびこり出し、むなしいを感じないではいられない風景だ。
横浜でも解体寸前のレンガ造りの建物の写真をたくさん撮影したが、写したからといって何かが変わるわけではないが、なぜか、消え行くものを記録しておきたい気持ちにさせられた。





これがうわさの、もんじゃや焼き屋が80数件もならんでいるという仲西通りだ。手前に無造作に取り付けられた三角の屋根の背後に、昔の美しい看板?が見える。何でもかんでも新しいからっていいってもんじゃない。観光的には、このレトロな感じを売り物にしたほうが、もっと受けるのではないだろうか、もったいないはなしだ。


私は海老やイカなど魚介がたっぷり入ったもんじゃ焼きを頼んだが、かなり豪華で美味だった。それまで駄菓子屋などで食べられた、小麦粉をといでキャベツを少しまぶしたかのようなもんじゃ焼きのイメージを多いに変えさせられてしまった。もんじゃ焼きは、もう子供の食べ物ではなくなってしまった。



佃島住吉神社の蔵。本殿の裏の緑の蔭にひっそりと佇み、ちょっと見落としがちだが、女房が見つけてくれたお気に入りスポットだ。レンガ造りの蔵といい、木陰や蔦が壁にはい上がる感じなど、こんな木漏れ日の美しいところを見事に絵に描いてみたいもんだ、と、モチベーションを高めてくれる。


左側は水路に面していて、まだ5月だというのに気温28度にもなった東京でも、ここだけは涼しく気持ちのいい場所でもある。