怠け者の節供働き

怠け者は日ごろ怠けているくせに、人が休むとなるとわざわざ忙しそうに働いたりすることから、みんなが休む節供の日に働かなければならない者をあざけり皮肉っていう言葉らしい。


そういえば、小学生の頃父兄参観日になると、いつになく元気に「はい、は〜い!」などと手をあげたり、先生が見ている時だけ、一生懸命掃除をしたりする奴がいたなあ。





3月号の表紙に、ひな人形を作って見たいと思ったが、ひな人形をそのまま出したのでは面白くないので、少しひねって考えてみましたが、いかがでしょうか。


ちょっと二宮金次郎風になってしまいましたが、金次郎はたしか勤勉の見本だったような気がするが。そうだとすると怠け者のモデルにはならないか。


かつては、どこの小学校にもあった二宮金次郎銅像だが、最近はすっかり見かけなくなった。いつごろから消えてしまったのだろうか。当時の教育方針が間違っていたのだろうか。勤勉実直はいいことだと教えられたのはまちがいだったのだろうか?


疑問に思ってフリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』で調べてみたら、下記のように記載されていた。


「各地の小学校などに多く建てられた、薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は、1881年発行の『報徳記』で現れる。ただし、薪を拾って売り、その金で勉学をしたのは事実だが、このような姿で実際に歩いていたという事実はないとされる。報徳記を基にした幸田露伴著の『二宮尊徳翁』(1891年)の挿絵で、はじめて薪を背負って歩く姿の挿絵が使われた。確認されている最初のこの姿の像は、1910年に岡崎雪聲が東京彫工会に出品したものである。


1904年以降、国定教科書に修身の象徴として二宮が取り上げられるようになった。小学唱歌にも二宮金次郎という曲がある。小学校に建てられた二宮像でもっとも古いものは、1924年、愛知県前芝村立前芝高等尋常小学校(現豊橋市立前芝小学校)に建てられたものである。


その後、昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。そのとき、大きさが1mとされ、子供たちに1mの長さを実感させるのに一役買ったといわれることがあるが、実際に当時に製作された像はきっかり1mではないことが多い。これは、 1940年ごろに量産された特定の像に関する逸話が一人歩きしたものと考えられる。この像が戦後、GHQの指令により廃棄されたといわれることがあるが、二宮尊徳が占領下の1946年に日本銀行券(1円券)の肖像画に採用されていることからも分かるとおり、像の減少と連合軍総司令部は特に関係は無い。戦前の像は銅製のものが多く、これらの多くが第二次世界大戦中の金属供出によって無くなったため、混同されたものと考えられる。


石像のものはその後の時代も残った。また、残った台座の上に、新たに銅像やコンクリート像などがつくられることもあった。像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をすると交通安全上問題があることから、1970年代以降、校舎の立替時などに徐々に撤去され、像の数は減少傾向にある。」とあった。


なるほど、歩行喫煙も駄目だが、歩行読書も駄目だということか。あの銅像をみて、歩きながら本を読もうとして交通事故に遇った人がいたのだろうか。


あるいは偶像崇拝に対する批判なのか。ついでに読書の習慣がなくなってしまうほうが弊害が大きいのではないでしょうか。教育の現場は、小さな現象に一喜一憂させられるのではなく、もっと長い目で、森を見て教育して欲しいですね。

実在しない二宮金次郎銅像の検証 / 考証 紅蜻蛉団のHPで沢山の二宮金次郎像を見ることが出来ます。
http://www.geocities.jp/journey4web/Trv/TRVNinob.html