「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしてゐる。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。」で始まる夏目漱石『坊ちゃん』のキャラクターを最初に決めたのはだれだろうか?



挿絵:細木原青起、(『名作挿絵全集』第二巻「夏目漱石作 坊ちゃん」、平凡社昭和10年
栗を盗みに来た勘太郎を捕まえた。



挿絵:細木原青起、(『名作挿絵全集』第二巻「夏目漱石作 坊ちゃん」、平凡社昭和10年
四国の中学校に赴任し、先生たちのあだ名を乳母の清宛ての手紙に書ている。


これらの絵がいつごろ描かれたものなのか、説明がなく不明だが、落款に「昭十起」とあるのは「昭和10年細木原青起」の略ではないかと思われる。とすると、この絵は、『名作挿絵全集』第二巻を出版するために描かれたのだろうか。


夏目漱石『坊ちゃん』は、1906(明治39)年、「ホトトギス」に発表され、翌年『鶉籠』(春陽堂刊)に収録されたものだが、この時には挿絵はなかったように記憶しているが……。まてよ、こんな企画、どこかで見たような気がする……。


祖父江愼「坊ちゃんの顔100」(「グラフィックデザイン創刊3号」左右社、2007年)で、すでに、しっかりと坊ちゃんの顔を集めて発表されていた。



祖父江愼「坊ちゃんの顔100」(「グラフィックデザイン創刊3号」左右社、2007年)


祖父江氏によると、
「『坊ちゃん』だけ単体で書籍化されたのは、大正3年からだ。新潮社は代表的名作選集第二巻として文庫サイズの美しい上製本『坊ちゃん』を出版。同月に春陽堂も同サイズの『坊っちゃん』をラフな装丁で安価な価格で出版。どちらにも”坊っちゃん”の絵はまだ入っていない。」らしい。ということは、漱石が生前に確認した公認の坊ちゃん像はなかったのか。


では、坊ちゃんが視覚化されるのはいつごろからなのか。それについっても
祖父江氏によると
漱石没後2年目の大正7年に新潮社は、近藤浩一路による『漫画坊ちゃん』を出版する。文庫本サイズの上製本だ。ここではじめて”坊ちゃん”の姿が絵として登場することになる。」
という。最初は漫画の主人公として視覚化されたのか。


今回掲載した、細木原青起が描いた坊ちゃんよりも以前に、すでに近藤浩一路岡本一平、石井滴水などが描いていたことが分った。


祖父江氏は同企画で、さらに、細木原以後に描かれた坊ちゃんや、舞台や映画の坊ちゃん等も含め100年間にわたる坊ちゃんの顔を網羅している。可なり力のこもった好企画なので、一読をお奨めします。