吉川英治『神州天馬侠』は大正14年から昭和3年に「少年倶楽部」に掲載され、山口将吉郎の正確で精密な挿絵と共に人気を博した。お家再興を願って山に立てこもる信玄の孫伊都丸と、大鷲の背に乗って自由に空を飛ぶことが出来る竹童の話だが、戦後に刊行された栗林正幸が挿絵を描いているポプラ社刊『神州天馬侠』を見つけた。


この2冊の中から全く同じシーンを描いた絵を見つけて並べてみたら面白いのではないか、とおもい、チョット意地が悪いかも知れませんが、探してみた。


挿絵:山口将吉郎、吉川英治神州天馬侠 多宝塔』(「少年倶楽部」大正14〜昭和3年



挿絵:栗林正幸、吉川英治神州天馬侠 多宝塔』(ポプラ社、昭和29年)


咲耶子は砂塵をかおに吹きつけられて、あ──と眼をつぶされてしまう。『おのれ!』きらめく懐剣、ぴかッと呂宋兵衛の脇腹をかすめる。……ひらりと舞つた紅葉の葉は、とんで一片の焔となり、吹きぬく風にあおりをえて、あやし、咲耶子の黒髪にボッとばかり燃えついた。」
というシーンを描いたものと思われるが、構図は左右入れ替えになっているが、始めに描いた将吉郎の挿絵の影響をかなり受けているように見受けられる。



挿絵:山口将吉郎、吉川英治神州天馬侠 地を裂く雷火』(「少年倶楽部」大正14〜昭和3年



挿絵:栗林正幸、吉川英治神州天馬侠 地を裂く雷火』表紙(ポプラ社、昭和29年)


こうなると、ほとんどコピーに近い。



挿絵:山口将吉郎、吉川英治神州天馬侠 お小姓とんぼ組』(「少年倶楽部」大正14〜昭和3年



挿絵:栗林正幸、吉川英治神州天馬侠 お小姓とんぼ組』(ポプラ社、昭和29年)

こうして比べてみなければ、いずれ劣らぬ見事な挿絵だ。技術的には栗林正幸もかかなり高い腕を持っている。しかし、将吉郎の絵をなぞるような仕事には毅然とした態度で拒否しなければ、高い評価を得る絵を描くことは難しいだろう。絵の評価はテクニックではなく表現するイメージなのだから。