村越三千男(1872-1948)の没後に刊行され事実上最後の出版物となった『原色植物大図鑑』全5巻(誠文堂新光社、昭和30年10月)には、あのいがみ合う敵対関係にあった牧野富太郎が、補筆改訂を買って出ている。牧野が見せた村越への感謝の気持ちだったのだろうか、牧野の人間性の一端がうかがわれるようないい話ではないですか。素直に口には出せない男の友情ですね。



『原色植物大図鑑』第1巻(誠文堂新光社、昭和30年10月)


巻頭には牧野富太郎が「補筆改訂に際して」という一文を寄せているので、転載して見よう。
「植物に関する図鑑書は現在迄に多数刊行されているが、本書は世界各国に産する植物を網羅した点において、他に類を見ないものと自負するものである。特に野生植物のみに限られた図鑑や、観葉植物を主体とした図譜類と異なり、野生植物は勿論のこと、観賞、有用、薬用植物の分布を世界各地域別に掲載し、各種についてあらゆる詳細な説明を与えている点は本書の特徴である。


収録植物数は約10,000余種に及び、原色図は5,000余種、挿画4,000余種に及んでいることは他書の追随を許さぬ点であろう。従って、本書は植物に関係を有する一般研究者、教育家、栽培者、医師、画家等のあらゆる方々に、参考資料として大いに役立つであろう。


更に今回再刊に当たっては私が補筆改訂を行い、誤りを正して、新たに新種、変種、及び品種を訂正追加したので、一段と読者各位に大なる満足を与えるものと思う。
本書の再刊については、理学博士北川政夫君が特に細部にまで渡って手を入れて下さったことを記し、感謝の意を表するしだいである。昭和30年盛夏  結網学人牧野富太郎識」(『原色植物大図鑑』全5巻(誠文堂新光社、昭和30年10月)


この牧野の補筆校訂に関して俵浩三は「もっともこの『原色植物大図鑑』も、よく見ると村越が不注意でミスした部分が訂正されないまま残っていたりして、牧野が本気で筆を入れたとは思えない。昭和三〇年ころの牧野は既に九〇歳を超える高齢であった。その牧野が細部にわたって本格的に補筆改訂することは、望むほうが無理であろう。また『内外植物大図鑑』は牧野がいうような『世界各地域別に掲載』をしていない。ということは、牧野がそれほど真剣に『内外植物大図鑑』を見ていなかったという疑いにもつながる。」(『牧野植物図鑑の謎』より)


と、俵は厳しい目でチェックしている。が、牧野が村越に、生涯の友としての感謝をこめて送ったレクイエムだったのではないだろうか。



牧野富太郎『牧野新日本植物図鑑』(北隆館、昭和47年、21版、初版:昭和36年)。この本は、「オリコミ」創立50周年記念の贈答品だったようで、発行番号が42801とある。今でも18,000円で販売されているこの本はいったい何部くらい売れたのだろうか。


牧野は1862(文久2)年5月22日) に生まれ、 1957(昭和32)年1月18日)に亡くなっているので95歳の長寿を全うしたことになる。昭和47年にオリコミの贈答用に使われた本の印税の恩恵は生前に受けることはできなかったが、この本の印税だけでも1億円近いはずだし、生涯貧困な生活を送っていたらしいのが、嘘のような話だ。