井川洗崖が描いた第一回目の挿絵の定紋に誤りが……



将棋の駒が紋になっている


新聞小説の挿絵は可なり忙しく時間に追われて描くようで、この井川洗崖が描いた挿絵の定紋には間違いがあり、訂正する余裕がなかったのか、最終行に「本日挿絵『放れ駒』の定紋は走り馬なるべき誤りなり」との訂正文がある。「将棋の駒」と「馬の駒」とを勘違いしたようだ。



大菩薩峠」第1回(都新聞、1913、大正2年)、部分拡大




「放れ駒」の紋。放れ駒とは、放たれた馬という意味で、走っている馬の紋を指すものと思われる。私が所有している家紋集には「放れ駒」という家紋は見つからなかった。


勿論文庫本の挿絵を描く時には文章は完成しているし、過去の挿絵形が描いた机龍之介像を見ることが出来るのだから、野口昂明がキャラクターの創出に関わっていることはないと思われる。


挿絵:野口昂明、『大菩薩峠』角川文庫)


図録の表四には、石井鶴三がスケッチした登場人物の顔が掲載されている。



挿絵:石井鶴三


先日購入した『大菩薩峠絵本 第一』についても記載があった。「石井鶴三との挿絵著作権の論争後、介山が一切の著作権・出版権を介山自身と隣人の友社に帰属する一冊として発行した。」(中里介山大菩薩峠」の世界、2003年)とあり、著作権問題は決着がついたはずなのだが、介山の腹の虫がおさまらなかったのだろう。何としても、著者自身である介山が挿絵の著作権をもっているという本を作りたかったのだろう。