挿絵のはなしを書こうとして、鞍馬天狗を集めていましたが、村上光彦『大佛次郎─その精神の冒険』(朝日選書92、1977年)を読んで、その内容の深さを知り、とうとう全巻読んでみたくなってしまった。


鞍馬天狗」は博文館の講談雑誌「ポケット」大正13年5月号に雑誌の「心棒」として《幕末秘史・怪傑「鞍馬天狗」──第1話・鬼面の老女》と、特別の待遇を受けて始まり、15年12月号まで連載された。その後、さまざまなところに連載を続け、最終的には昭和40年1月から8月まで「河北新報」に「地獄太平記」を連載するところで終っている。



「ポケット」大正13年5月号表紙、装画:苅谷深隍



「ポケット」大正13年5月号目次

「ポケット」大正13年5月号目次のトップに、最も大きな文字で、「怪傑鞍馬天狗」が紹介されている。大佛次郎のもう一つのペンネーム・由井濱人で書かれた「滑稽小説女たらし」も見つけることが出来る。



「苦楽」(苦楽社、昭和22年3月号)表紙、装画:鏑木清方



(鞍馬天狗「新東京繪圖」)「苦楽」昭和22年3月号)、挿絵:岩田専太郎



(鞍馬天狗「新東京繪圖」)「苦楽」昭和22年3月号)、挿絵:岩田専太郎


鞍馬天狗」は実に半世紀にわたって大衆に親しまれ愛読された伝奇連続時代小説だ。
そんな「鞍馬天狗」の魅力を宮地佐一郎は「天下の浪人で、勤王派志士、覆面の剣客で馬の名手、短銃も使う神出鬼没の超人的活躍、大胆不敵な正義の味方、凛々しい三十すぎの颯爽たる男、──この日本的快男子は、体制側への変わらない批判者でもある。架空の世界から、尽きないロマンを運んでくる鞍馬天狗は、二十七歳の青年作家が創造した、その人の分身であった。」(「大佛次郎 今なお新鮮な鞍馬天狗の魅力」、「本の本」、》昭和51年)と、紹介している。


大佛次郎自身は「この初期のものは史実の背景も並記で無視し、でたらめのこともおおい。……自分の若さを自分で見るのは閉口で、楽しいものどころか、なるべく目を外らしておきたいものである」(中央公論鞍馬天狗』あとがき、昭和36年)と、自己批判気味に語っている。