岩田専太郎編『挿絵の描き方』(新潮社、昭和16年)に掲載されている「挿絵座談会」には、岩田専太郎、林唯一、富永健太郎、小林秀恒、志村立美が出席して、挿絵論を展開している。一番興味を魅かれたのは、「新聞、雜誌の描き方」の章だ。


「岩田 ……純粋な繪は皆に喜ばれなくてもいゝ。少数の人にだけ分つて貰つても……。
小林 純粋の絵は段々皆から離れていくといふ傾向がある。これも皆に喜ばれゝば喜ばれる程いゝのでせうけれども、喜ばれなくてもいゝのだ。
岩田 それが挿絵の場合だけは皆に喜ばれなければ成立たないといふことになる。」


「小林 新聞と雜誌の違ひは、新聞の場合は、一日々々の山を持って行くといふことが一番大切なことで、これはどなたも同じ意見でやつてゐることなんでせうけれども、山を極端に現はすのが、新聞の場合では、効果があると思ふ。



挿絵:小林秀恒、土師清二『紺日傘の娘』(「富士」、昭和13年


岩田 僕は雜誌の場合と新聞の場合は、紙面の変化といふことを考へる。雑誌の場合は、割合に繪の入る部分が多くなって、活字の部分がそれに比例して多いが、新聞の場合は、活字の一杯埋まつた中へ、或いは広告の埋まつた中へ、ほんの少し挿絵が入るといふ関係、そこらに矢張り新聞と雜誌の違ひがあるやうな氣がする。」



挿絵:岩田専太郎野村胡堂『船頭双六』(「キング」、昭和11年


「志村 ……新聞の場合だと、大抵どう云う新聞でも大きさが決まってゐる。その点で僕は、新聞の方が軽く描けるやうな氣がする。……新聞の描きいゝことは、雜誌と違ってとぢ目が全然ないことです。



挿絵:志村立美、大佛次郎『美女桜』(「講談倶楽部」、昭和13年


林 ……雜誌なんかの場合、スペースの関係で大きいから繪として相黨描けるけれども、新聞の場合は、これは非常に小さいから、描く以外に別の苦心が要ると思ふ。」



挿絵:林唯一、竹田敏彦『大陸の歌』(「講談倶楽部」、昭和17年


「岩田 雜誌の場合は、小説の原稿十枚位ゐに對して、挿繪一枚ぐらゐの割になるけれど、新聞の場合には、原稿四枚に對して一枚の繪を描くやうになるから、小説の内容の都合で、同じ場面が三日、四日と續くことがある。そうした時に、どうして變化をつけて行くかといふ點なぞに、雜誌と新聞の違ひ、苦労といふやうなものがなくもないですね。……」



挿絵:岩田専太郎三上於菟吉『女妖正体』(大正15年)